Dec. 2, 2004
清潔感、不潔感のはなし。先日東京の地下鉄で、私の前の席に30代半ばくらいの父親に連れられた姉妹2人が座っていました。3歳くらいの妹がミントの飴を床に一つ落としたのですが、父親はそれを拾い軽く手で払っただけでその子の口にポンと入れたのです。私には地下鉄の車内で落としたものを口にするなんて絶対できませんので(私は自宅の床なら許せる)、かなり驚きました。
かつて小学生中学生の頃に、林間学校などに行くと大広間で夕食の支度が進み、時間になるとわれわれ生徒たちは列を作って大広間の前に行列をつくり、準備が終わるのを待ったものです。しかしふと見ると大広間にはハエがブンブン飛び回り、わが物顔にデザートのスイカにとまっています。私は家ではハエは汚いもの、赤痢を媒介すると教えられていましたので、かなりショックだったのを覚えています。幸い(?)席は指定ではなかったので、ハエがとまっているのを目撃した席には座らず、「見なかった」席に座って、この席のスイカには「とまらなかった」と思うことにしました。そうやって少しは逞しくなったのでしょう。
アフリカの映像などで、子供たちの口元にハエがたくさんとまっているのに、払いもしないという光景をご覧になった方も多いと思います。以前は「払う元気もない」のだろうかと考えていたのですが、4、5年前にある島に行った時に、シャツの背中の格子模様の升目一つに1匹とまるほどのハエの多い場所でセミの調査をしたことがあります。最初こそハエを追い払っていたのですが、じきにそれが全く無駄であることに気付きましたし、どうということはない、と思えるようになりました。
「それ」を乗り越えなければ得られないもの、それはあるときはたかがスイカの一切れかもしれないし、セミの調査かもしれませんが、場合によってはもっと重要なものかもしれません。そういうものを手に入れるためには少々のことは平気になるくらいの逞しさは必要なのではないか、いつもいつも清潔な無菌状態にいると決して得られないもの、それどころか失うものすらあるかもしれないと思うようになったのです。だから落としたものを平気で口にしてよい、と言っているのではありませんし、私も病気にはなりたくありません。人それぞれ「線」をひいて判断するわけですが、時には少々冒険をした方がよいかもしれないな、と。

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