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May 2005

May 25, 2005

2005オーストリア紀行9

5月7日
写真はクリックすると拡大できます
*ぜひ下の方にある「オーストリア紀行1」からお読み下さい

いよいよ帰国の日。朝食で中国人グループと一緒になる。ウェイトレスは反対側の一般客(アジア系の人はいない)側に行こうとする我々に対してこっちだと示す。その部屋はすべて中国人グループの人たちで、何となく肩身が狭いような気がして居心地が悪い。別のウェイトレスに「我々はこのグループの人間ではないので」と言って奥の部屋に移動する。

チェックアウトしてから中央駅まで行ってすぐに空港行きのバスに乗る。家内は名残惜しそうだ。空港でチェックイン。何とヴィーンから成田までの便が定刻から3時間遅れるそうだ。となると成田に着いた後に羽田から広島へ飛ぶ我々は乗り換えがきつくなる。もともとギリギリの乗り換え時間の便ではなく、一端実家に寄ってから帰る予定にしていたので、乗れないことはないだろう。

搭乗口まで行く前に写真を撮ったりしてすごす。空港の向こう側の山はやはり上の方が雲に隠れているが、今日はそれでもかなり上まで見えている。アルプスの美しさはやはり格別で、見るものは「飽和状態」に陥ってしまうものだ。R.シュトラウスの「アルプス交響曲」を中味のない単なる描写音楽程度に考えている人は大きな誤りをしている。一度経験したものには全く違って聞こえるものなのだ。(写真:インスブルックの空港で)
airport1airport2airport3

離陸するとやはり雲海の上。下はあまり見えない。一時間ほどで再びヴィーン。時間はたっぷりある。土産物屋などを見てから昼食。食後通関して税金の払い戻しを受ける。時間が余っていてもすることがない。待合室でだらだら時間をつぶす。本来ちょうどよい乗り換え時間になるように予定を組んだのだが・・・。

帰りの飛行機では三人の席が2+1に離れてしまった。母だけ数列後ろの席になる。またしてもオーディオサービスの調子が悪い。我々夫婦と並んでいた男性はオーディオサービスの調子が悪いことを訴えて、空いていた別の席に変わった。全部おかしいのではないのだろうか。しかしおかげで母は移動できることになったわけだ。

結局成田到着は2時間遅れ。とても実家に寄る時間はない。同じ便に元大臣の女性代議士が乗り合わせていらしたようだ。全くVIP待遇ではなく、お一人で一般人と一緒に満員すし詰めのシャトルに乗られる。スーツケースを宅配業者に渡し、羽田行きのリムジンバスの時間を見る。あと5分で出るようだ。母をひとり置き去りにしてバスに乗る。大きな荷物は宅配に任せたし、まぁ何とか帰れるだろう。連休最後の日ということで、高速道路はかなり混んでいるのではないかと心配したが、逆にガラガラで羽田には予想外に早く1時間ほどで到着。手荷物チェックを受け、時間を見計らって搭乗口前の待合室から実家に電話する。母は無事に帰宅したようだ。

飛行機に乗り込むと二人ともそのまま寝る。いつ離陸したのかも気づかぬほどだ。夕方に家にたどりつく。羽田で買った食材で簡単に食事をしてから昼寝。これから数日間時差ボケと闘うことになる。
(おしまい)

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May 19, 2005

2005オーストリア紀行8

5月6日:
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*ぜひ下の方にある「オーストリア紀行1」からお読み下さい

あまりよい天気ではない。朝食はウィーンのホテルの方がよかった。まず中央駅のインフォメーションに行って情報収集。中央駅は近代的な駅に生まれ変わっている。9年前はもっとひなびた駅舎だったという記憶がある。巡回型の観光用ミニバスが運行されているようで、これの一日乗車券を買う。最も近いバス停を聞き、凱旋門の近くのバス停まで市電で出る。(写真:左 凱旋門近くのバス停にて)arch
15分ほど待ってこのミニバスでアンブラス城に行く。(写真:右)castle
併設された博物館では騎士の甲冑など武具の展示、その他王家(ハプスブルク)に伝わる品々を見る。猿の数で表したトランプが面白い。

ふとベランダをみると、そこに立派な尾をしたクジャクが一羽いる。(写真:左、右)peacoc1
peacoc2
時々庭園に舞い降りたり、逆に戻ってきたりしているようだ。庭園を見ると、他にも数羽いるようだ。庭園を渡って、今度は城を見る。ドアも立派だが、(写真)door
大広間も見ごたえがする。(写真:右)hall凸レンズが何枚も埋め込まれたようになっている窓ガラスも面白い。(写真:右)window
階をのぼると、歴代の王や家族の肖像画が陳列されている。アントワネットとルイ16世の肖像もあった。(写真:下 城内の様子)
castle2courtyardcastle3castle4
昼前にミニバスに乗って、まず前日休みだったベル屋に行く。ベル博物館も併設されていて、見学者がぞろぞろ出てきた。9年前にはなかったタムタム(ドラ)や柄付きの鈴などオーケストラなどでも登場するものもある。私は教会の鐘の音をおさめたCDと小さめのカウベルを2種類、家内は小さなテーブルベルを購入。そもそも私がカウベルに関心を持つようになったのは勿論マーラーの影響だ。(写真:左 私が購入したカウベル)bell
ヨーロッパに来てすばらしいことの一つに、教会の鐘の音がある。日常的にどこからともなく鐘が聞こえてくるのだ。この店はそんな教会の巨大な鐘から、実用的な家畜用のベル、家庭のベルまで作っている店なのだ。こんな店は日本にはないだろう。しかし店で品定めをする間、母はつまらなそうだ。それは・・・

前日の夜に母はホテルの近くの洋装店(ブティックというのだろうか?)でウィンドウに飾られていた黒いベルトを見つけ、是非店が開いている時に再度来たいと言っていたのだ。そこでその店に行く。我々夫婦は外で待っていたが、母は一人で入っていって買ってきた。家内があまり食欲がないということで、たまたま通りがかった肉屋の経営するファスト・フード的な店に入る。私はスープと白いソーセージにパン。さすがソーセージは美味かった。

食後ホテルに戻るが、途中の店で私にちょうどいいセーターを見つけ購入。母は買ってきたベルトを取り出し御満悦だ。一休みしてから家内と二人だけで旧市街に出る。家内は鈴に付けるためにリボンを買う。金の小屋根に近いリースを売る店に行く。店番の娘は「トイレに行っていた」と言いながら駆けてきて店の鍵を開けてくれた。陽気な娘で、数時間後に店の前を通りかかったら、手を振りながら「チャオ!」。このリースは香りがよく、九年前にこの店で買ったものは未だに匂っている。(写真:左 店の前のカゴにもリースが一杯)wreath


バスに乗ってイグルスまで行く。帰りのバスの時刻を見てから一時間ばかり街を歩く。天気が今一つだったがチロルの田舎の風景はなかなか美しい。写真を撮りながらすごす。勿論教区教会にも行った。どんな地方に行っても必ずと言っても寄るのが教会。信者ではなくてもなかなか素敵な空間なのだ。(写真:下 農家の壁に十字架状に干してあるトウモロコシが面白い。民家の壁に沿って生える木、教会と内部など)
Igls2IglsIgls4Igls3


一端旧市街に戻り、明日誕生日の母のためにお菓子を買う。再度ヤコブ教会のドーム(大聖堂)を見てからホテルに歩いて戻る。夕方三人で家内が目星をつけたレストランに行くことにする。今夜がオーストリア最後の晩になるだけではなく、一日早い母の誕生日のお祝いだ。結局イン川や金の小屋根にも近い旧市街の店に入る。まだ早かったのか客が少なく、金の小屋根が見える‘特等席’だ。(写真:左 窓から外を見る)restaurant
私はスープとターフェルシュピッツを注文。これらは絶品だった。ウェイトレスのおばさんはやや無愛想だが、感じは悪くない。片づけにきたときに「料理はどうだったか?」と聞くので、「とても美味しかった。明日は母の誕生日で、良いプレゼントになった」と言うと、‘Alles gut!’と微笑む。

腹ごなしにブラブラ歩きながらホテルに戻る。(写真:旧市街の夜景)night2night
明日は帰国の日。荷造りをしなければならない。物品税の払い戻しを受けるときに、現品を呈示する必要があるので、これらはスーツケースに入れられない。手で持たなくてはならず、結構かさばる。
(続く)

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May 18, 2005

2005オーストリア紀行7

(5月25日加筆)
5月5日:
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天気は曇りでやや寒い。今日は10時ちょうどの便でインスブルックに移動する。そのためには朝食前に荷造りを済ませておき、7時からの朝食を早めに取ってチェックアウトしなければならない。母はお気に入りのアプリコットジュースの飲み納め。チェックアウト後カールスプラッツ駅までガラガラ荷物を押していく。オペラ前まで市電に乗ってもそこから地下鉄に乗るには地下道を戻る形になって、それだったらカールスプラッツ駅まで徒歩で行くのと変わりがないことに気づいたのだ。そもそも市電に3つものスーツケースを乗せ、たった2つめの停留所で下ろす作業は大変だ。雨が降っていなくて幸いした。

地下鉄でシュベーデン・プラッツに出る。空港行きバス停は大通りから横にそれた小さな通り沿いにあって分かりにくい。20分の待ち合わせ。8時40分のバスで空港へ向かい、9時頃に着いた。出発ロビーの窓口に並びチェックイン。早めに搭乗口に向かう。手荷物チェックで私は何かの金属が反応。ボディーチェックを受ける。ようやく無罪放免されたら、家内がバッグの中味を次々に出させられている。ナイフが映ったとのこと。朝荷造りの時にあわてて果物ナイフをうっかりバッグに入れてしまったようだ。結局このナイフを‘寄付’することでお許しが出た。

双発のプロペラ機でインスブルックへ向かう。9年前は軽い機内食が全員に出たのに、今回はビジネスクラスだけ。エコノミークラスは飲み物だけしか出なかった。日本の国内線もそうだが、どこも同じだ。天気が悪く雲しか見えない。1時間ほどで着陸。視界は悪いといっても到着直前、高度を下げて見えてくる風景は美しい。スーツケースを受け取り、空港前のバス停でバスを待つ。かなり寒い。行ったばかりだったようで2、30分待たされる。今度のホテルは中央駅(ハウプト・バーンホフ)の真ん前なのでアクセスは簡単だ。バスで中央駅で降り、ホテルに向かう。2時にならないと部屋には入れないということで、大きな荷物だけ預け、出かけることにする。スーツケースは部屋に運んでおいてくれるとのことだ。

いわゆる、金の小屋根を中心とする旧市街(写真:左 金の小屋根、市の塔)GoldenesDachl

Stadtturm
に出て、小さなイタリアレストランで昼食。ヤコブ教会のドーム(大聖堂)(写真:右)JakobDom1
JakobDom2
JakobDom3

を見学し‘その辺’をウィンドウショッピング。今回の旅行では、さまざまな場所でクリスタル製品のスワロフスキーを見かけることに驚いたが(4年前はこれほどではなかった)、ここにも直営店がオープンしていて大にぎわいだ。青空ものぞくようになってきた。日本人の観光客は比較的少なく、一グループ見かけただけ。アジア系では中国人のグループが多いようだ。ついで韓国のグループか。ある建物から出てきたアジア系男性は私とすれ違いざまに「アンニョーハセヨー」と言っていた。

その後インフォメーションで24時間切符を買い市電でシュティフツ・ヴィルテン教会近くのベル屋(カウベルから教会の鐘まで、金属の鐘を売っている)に行く。しかし営業時間内のはずなのにお休み。そう言えば今日はどこでも休みの店がいやに目についた。ガイドブックを調べてみたら、「こどもの日」ならぬ「キリスト昇天祭」だった。なぜこんなお店を知っているのかというと、前回9年前にシュティフツ・ヴィルテン教会などを見学した折に偶然見つけたのだ。前回はテーブルベル、中くらいの大きさのカウベル、馬用のベルを買ったのだ。

仕方がないので一度ホテルにもどり、部屋に入る。なかなか広い。一休みしてから再び旧市街へ夕食を食べに行く。行く店は決めていた。前回泊まったホテルのレストランだ。今回もここに泊まりたかったのだが、あいにくインスブルックでアイスホッケーの国際大会が開催中でとれなかったのだ。レストランの味は前回確認済み、というわけだ。スイスの音楽関係のグループ(中後年の人がほとんど)が別室に陣取っていてなかなか賑やかだ。歌も出て楽しそうだ。ヌードル入りのコンソメのスープがうまい。

食後ライトアップされた金の小屋根やショーウィンドウなどを見ながらホテルに戻る。
(続く)

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May 14, 2005

2005オーストリア紀行6

5月4日:
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今日は朝からどんよりと曇っている。朝食後市電でオペラ前に出て地下鉄に乗り換え、マリアヒルファー・シュトラーセ(通り)に行く。(写真:左 マリアフィルファー教会前のメイポール)maypole九年前私が皮のジャケットを買ったことがあるデパートに行って革ジャンを見る。なかなかよいものがシーズン終わりということで安くなっている。しかしバーゲンということでなのかカードは使えないという。現金の持ち合わせが少なかったので、銀行に行って引き返す。次に一昨日家内が行きそびれた店に出かける。広島ではなかなか皮のジャケット(毛皮ではない)を見つけられないのだ。さすがに寒い国だけあって、気に入ったものが見つかる。当然これらは免税の書類を書いてもらう。あとで出国時に物品税が戻ってくる仕組みだ。ついで本屋に行ってヴァッハウ渓谷の地図などをさがす。著名人の墓の場所を書いた本があった。一昨日中央墓地で私たちにシェーンベルクの墓所を教えてくれた女性はこれを見ていたのかも知れない。昼食は一昨日母が気に入った木苺ののったマンゴープリンのお店だ。昼食後は一端ホテルにもどり母だけおいて、私たちはハイリゲンシュタット駅経由でクロスター・ノイブルクの修道院に向かう。私は三回目だっただったが、前回2001年に行った時は修復中で中に入れなかったのだ。(写真:右 修道院の2つの塔)Kleuster1

あれから4年で、もう修復は終わっただろうと思ったのだが・・・まだだった。今年の夏に再公開のようだ。仕方がないので外から眺め、ショップに立ち寄ってから市内に戻る。(写真:左 駅ホームからの遠景)Kleuster2まだ今回の旅行で行っていないのは美術館。余り時間がとれないのだが、まずシュヴァルツェンベルガー・プラッツにあるアーノルド・シェーンベルク・センターで開催中の「画家(Der Maler)」と題する展覧会に行くことにした。ここでいう「画家」(定冠詞がついている!)とはシェーンベルク自身のことである。彼は勿論作曲家として著名なのだが、画家としての腕前も余技をはるかに超えたプロのものであることは知る人ぞ知ることなのだ。この展覧会はその主たる作品を集めて展示するもので、ヴィーンならではのものと言える。とても日本に来るとは思えない。

自画像が非常に多いことに驚く。有名なA.ベルクを描いた等身大の作品やマーラーの埋葬の絵など、本で見たことのある作品に出会えたのはよかった。また、トランプの絵柄などユーモア(風刺を含む)すら感じさせる作品もあった。さらにマーラーの次女アンナの手になるシェーンベルク晩年の彫像も展示されていた。正直言って、私はシェーンベルクの音楽作品には十分に親しめないものを感じているが(12音技法の作曲家ではベルクの方がずっと親しめる)、絵の方がはるかにわかりやすいと思った。

さて時間がないが、急いで今度は美術史美術館の裏手に最近オープンしたMQ(ムゼウムス・クアルティーア・ヴィーン)に行く。時間がないので(閉館時間まで50分くらいしかなかった)その中でもレオポルド・ムゼウムだけを駆け足でみることにした。一階はヴィーン工房の家具など、またクリムトをはじめとする分離派の画家たちの絵画。マーラー夫人アルマの継父であるカール・モルの作品の1930年代のグリンツィンクの風景画があったが、これはまさに私がかつて撮影したこの写真 の構図とほぼ同じだったのには驚いた。グリンツィンクの墓地近くからプファール(教区)教会方向を写したものだ。この教会はマーラーの葬儀を行った教会に他ならない。

上の階にはE.シーレの作品がかなりまとまって展示されていた。シーレはクリムトに師事しそこから独自の方向を見出した画家で、クリムトにはない第一次大戦前の(いや、それだけの暗さではないのだろう)暗い雰囲気をもった作家で、私には日本の佐伯祐三にもつながるものを感じさせる画家だ。多くの自画像が知られているが、ここにはオーストリアの町並みを描いたものもいくつか展示されていて、後のフンデルトヴァッサーにもつながる構図を感じさせて印象深かった。

19世紀末から20世紀初頭の画家ではクリムト、ココシュカと並んで有名なシーレだが、(好き嫌いは別としても)芸術的深みという点では圧倒しているかも知れない。若くして病死(スペイン風邪)したのが残念だ。シーレは生誕の地ヴィーン郊外トゥルンに美術館があり、一度行きたいと思っているのだが、なかなか実現できないでいる。前日ヴァッハウ渓谷からの帰りにもトゥルンの駅を通っただけに一層その感が強い。

短い時間だったが、内容の濃い半日だったと思う。ホテルに戻ってから三人で再度ケルントナー通りに出かけ、カフェテリア・スタイルの例のレストランに行って夕食。中心に軽く済ます。ヴィーンとは今日でお別れ。明日は移動日だ。
(続く)

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May 13, 2005

2005オーストリア紀行5

5月3日:
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今日も晴れている。しかし予報では夕方から雨。朝食後私だけ早くホテルを出、オットー・ヴァーグナー作のカールスプラッツの駅舎(写真:左)Karlsplatzとゼセッション(分離派)の建物(写真:右)Secessionという二つの代表的ヴィーン・ユーゲントシュティール建築などを撮影。市電で出て来た二人とオペラ前で合流。地下鉄に乗り換え、ヴィーン西駅に行く。今日は国鉄に乗ってメルクの修道院とヴァッハウ渓谷に行く予定だ。母は外国での鉄道は初めて。コンパートメントに入るのも初体験である。ヨーロッパの列車には名前がついていることが多いのだが、このザルツブルグ行きの列車には「ブルックナー・オーケストラ・リンツ号」とある。リンツに本拠のある同名のオーケストラを記念して(?)の命名あろうが、何か不思議だ。広告料がからんでいるのだろうか?

出発間際に、日本人青年二人組が入ってくる。こちらの国籍が分からないので、英語で「ここいいですか?」と聞いてくる。私はなぜか日本人と悟られないように英語で答え、口をつぐむ。残りの二人がしゃべりかけてこないことを祈るばかりだが、どうも母も家内も同じ思いなのか、急に無言になっている。車掌が検札にきた。私はドイツ語で応対する。我々三人は無言である。外の景色を教える時も指さすだけだ。畑に茶色い野ウサギがいるのが見える。二人の青年は自分たちの予定のことなどを盛んに話しあっている。

50分ほどでザンクト・ペルテンに到着。私たちは乗り換えだ。ホームに降りるや否や、「苦しかったー!」と二人。同じ思いだったようだ。日本人と悟られないように必至だったそうだ。しかしどこから見てもコテコテの東洋人の三人である。いくら頑張ってもオーストリア人と思われたとは思えない。ザンクト・ペルテンの直前に工事区間があって到着は予定より5分近く遅れている。乗り換え時間がほとんどない。私はダッシュして地下道を通り別ホームに登って行くが、そのホームではなかった。隣だ。またダッシュして移動。我々以外にも同じ目的の人たちが多いらしく、みな金魚のフン カルガモのヒナの如く私にくっついて移動する(一緒に間違えた)。責任重大だ。

メルクに11時前に到着。やや雲が出てきた。歩いて‘門前町’の土産物店街を行く。melk4
(写真:左)石段を登って修道院に到着。(写真:右 修道院中庭)melk1見学は早ければ1時間くらいでOKかもしれないが、我々の場合いろいろトラップがあって、2時間はかかった。(写真:右 修道院図書館)melk2特に聖堂ではお昼のミサにさしかかり、オルガン聴きたさで終わりまで列席してしまった。(写真:左 聖堂)melk3ショップではそのオルガンのCDを見つけて購入。その後修道院の横のレストランに入って昼食をとった。小鳥がきれいな声で鳴いて気持ちが良い。・・・等とうっとりとしていたのが命取り。時間が止まったかのような感覚で、すでにヴァッハウ渓谷を下る船の出港時間などどうでも(?)よくなっていた。

午後1時50分に出港というのに、我々が船着き場に着いたのは2時半頃。夕方まで船は無かった。仕方がないのでメルクの駅まで戻ることにするが、船着き場まで無駄足になった足にはこのちょっとした距離がキツク感じる。ちょうどバス停が近くにあって、間もなく来るようだ。しかもメルク駅に行く。渡りに船とばかりにバスに乗る。しかし行き先を告げ料金を払おうとすると運転手は首を振りながらタダでよいという。長距離バスなので目と鼻の先の距離の客は想定外ということか。おおらかな国である。しかしこのおおらかさ、我々はさらに驚くことに出会うことになる。

さて、これからどうするか?諦めてヴィーンに帰るという案もあったが、家内は諦めきれない様子。始めは一人だけで船下り(上り)を強行することも辞さない構えだった。しかし結局列車を乗り継ぎ、クレムス、デュルンシュタインまで行ってドナウの流れを見てヴィーンに戻るということに落ち着いた。しかし列車の時刻がわからない。うまい具合にベルンシュタインまで行けるのだろうか。メルクの駅に着くともう列車が来ている。駅で切符を買っている時間はないのでひとまず飛び乗った。雨が降り始めた。

車掌が検札に来る。複雑なので私のドイツ語ではうまく話せない。家内と二人で英語でまくし立てる。一応始めはクレムス、デュルンシュタインまでの列車の時刻を教えてくれたり何とか応対していた車掌だが、そのうち駅が近づき、手を左右に振りながら切り上げていった。結局ザンクト・ペルテンまでの20分ほどの間に彼が再び検札に来る暇は無く、我々は下車したのである。そしてオーストリアの駅には改札はない。これがなにを意味するかは御想像にお任せするが、良い子は決して真似をしないように。

ザンクト・ペルテンで乗り換えた列車がクレムスに近づくと車窓から小高い丘(山?)の上に横たわる壮大な修道院が見えてきた。規模から推測するにメルクのそれに匹敵する。まさかここからメルクが見えるわけが無く、ガイドブックにも記載がない。その正体が分かったのは帰国してからで、ゲットバイクの修道院であった。(写真:車窓から見たGöttweig修道院)Goettweig

クレムスで再度乗り換え、10分ほどでデュルンシュタイン到着。帰りの列車の時間を調べると50分ほどしかない。母はこの時点ですでにかなり疲れた様子で、これ以上長引かせることは無理だ。と決まれば早くしなければならない。急ぎ足で街を駆け抜けることにする。小さな街でそれでもかなり見ることができた。Duernstein1
(写真:右 新酒ありの看板と遠景の古城跡)ドイツのロマンティック街道沿いの街を思わせる素敵な町だ。(写真:左 街並)Duernstein3丘の上には中世の古城の跡がある。イギリスの獅子心王と呼ばれたリチャードが十字軍遠征の帰りに捕らえられ幽閉されていた城だそうだ。結局見られなかったのはここの修道院の内部だけといってもよい。(写真:右 修道院の塔)Duernstein2
次回来る時にはもっとゆっくりしたいものだ。

6時頃の列車でクレムス経由でヴィーンに戻る。車窓から見ると、やはりあちらこちらの畑に野ウサギがいる。まるでピーターラビットという感じだ。さらにキジやヤマドリに似た鳥がいる。さすがに三人ともクタクタ。ホテルの近くを歩き、昼食がきちんとしていたことでもあり、偶然見つけたアジア料理屋で軽く済ます。
(続く)

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May 12, 2005

2005オーストリア紀行4

5月2日:
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今日も快晴。熱は下がった。家内は37度台になったが、私ほど重くならないですみそうだ。朝食を済ませて家内と母は近くのスーパーに飲み物などを買い出し。私は一足先に部屋に戻る。9時頃にホテルを出発し、オペラ前まで市電で。ケルントナー通りから、母の希望で日本の免税店へ。私は退屈なので隅にあった長椅子に座って待つ。再びケルントナー通りをシュテファン方向に向かう。母はデパートを見たいという。退屈なので家内に1時間もらって11時にデーメル(著名なケーキ屋。日本にも直営店あり)の前で落ち合うことにする。
MariaamG

私はシュテファンの横を通り、アンカー時計の前をすり抜け、マリア・アム・ゲシュターデ教会(訳せば「岸辺のマリア教会」とでも言うのか)へ行く。
ここも必ず一度訪れるお気に入りの場所だ。繊細な塔が印象的な美しい教会である(写真:左)。観光客とは無縁の場所で、堂の中では初老の男が一人祈っていた。すぐ近くの19世紀末様式(ユーゲントシュティール)の橋に出て(写真:右)Brucke、煙突掃除屋の看板を見て(写真:左)、やはり世紀末様式で知られる、エンゲル・アポテケ(薬屋)の壁画を撮影(写真:右下)。コールマルクトに出て約束のデーメルの前に行く。まだ時間があったので、ミヒャエル教会の中に入る。ヒヤッとして心地よい。entotsu


engel
落ち合ってホーフブルク(王宮)を背に写真を撮ってから地下鉄でマリアヒルファー通りに行く。単に天気が良いだけではなく、この時期としては異常に暑い。30度近いのではなかろうか。しばらくウィンドウショッピングした後、家内のお目当てだった皮コート屋に行くが、ちょうど昼休みで休憩中(11時半から休みだった)。仕方がないので昼食。母は木苺の載ったマンゴープリンを見つけて食す。結局これがお気に召して翌々日に再訪問することになる。

食後は地下鉄と市電を乗り継いでハイリゲンシュタットのベートーヴェン・ガング(散歩道)へ向かう。この季節、ここは小鳥の鳴き声に満ちあふれ非常に心地よい場所なのだ。しかしカンカン照りでジリジリと焼けるように暑い。確かに鳥(クロウタドリ)は名歌手ぶりを聞かせてくれたが、暑くて早々に退散。ホテルに戻ることにする。ホテルに戻ってもまだ3時半。一休みしてから私たち夫婦だけ出かけることにする。まず近所のカール教会前の公園を見てから(写真)、家内は是非中央墓地にシューベルトの墓参りをしたいということで、市電で中央墓地に向かう。
Karlskirche

かなり遠い。こんなに遠かったかと思う。5時ちょっと前に墓地に到着。私は折角だから、前回お参りしていない人の墓参をしようと、入り口でA.シェーンベルクの墓所の位置を聞く。いわゆるベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどの楽聖たちの眠る一角からそれほど離れていないことがわかる。ベートーヴェンたちの墓参を済ませ(写真:正面がベートーヴェンのお墓)Beethoven
、シェーンベルクの墓を探すが、どうしても見つからない。諦めかけた頃、一人の女性がお墓のガイドブックらしきものをもっているのを見つけ、「シェーンベルクのお墓はわかりますか?」と聞いてみる(片言のドイツ語が役立った)。すると早速調べてくれて、連れの女性がわざわざその場所まで連れていってくれる。

何とも斬新な墓石で、いかにもシェーンベルクらしい(写真:左下)。墓碑銘は白い墓石の低い場所に刻まれていて見えにくく、これではなかなか見つからないはずだ。市電で街に戻り、ホテルへ。まだ病み上がりで調子が出ないせいか、かなりくたびれた。食事のためにまた街中に出る元気が出ず、隣の4つ星ホテルのレストランを利用することした。グラーシュを頼んだが、母は口に合わなかったようだ。私も少々食べ残してしまった。
(続く)schoenberg

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May 11, 2005

2005オーストリア紀行3

5月1日:
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6時前に起床。熱は37度台前半に下がっている。朝食は7時からなので、それまでは横になっていたり、のろのろと洗顔したりして過す。今日は結局昼食後Sさんにカーレンベルク(ヴィーン郊外ハイリゲンシュタットの背後に迫る小高い山)に連れていっていただき、私たち夫婦は一端ホテルに戻り着替えてからオペラ(シュターツ・オーパー)。母はSさんのお宅にお邪魔してから一人先にホテルに戻ることになった。つまり母は部屋の鍵をフロントで貰い、一人で開け閉めできないといけないのだ。実はオーストリアの鍵はやや癖があって、慣れないと何度も左右にぐるぐる回して悪戦苦闘するのだ。そこで朝食にむかうときにまず練習。かなり苦戦するが多分大丈夫だろう。

朝食はもちろんいわゆるヨーロピアンスタイルだが、普段でもパン二枚+紅茶(コーヒー)一杯の生活の私には多すぎる。同じヨーロピアンスタイルでもホテルでまちまちで、ここはかなり豪華だ。私が気に入ったのは外側にハーブがたくさん付いているチーズ。やはりヨーロッパはチーズとスープがおいしい。母はマーブルケーキのようなお菓子を見つけ食べていた。またアプリコットのジュースが気に入ったようで毎日飲んでいた。本人は否定していたが、普段の朝食の倍近く食べていたのではないだろうか。

部屋に戻って身支度していると外で何やら賑やかな楽隊が通っていく。今日はメーデーで、その行進らしい。9時頃ホテルを出る。市電でオペラ前まで出ると、やはりメーデーの行進がある。リンク(ヴィーンの城壁跡にできた環状道路)の交通は午前中すべて止まっている。二人は行進を見ていたいというので、私だけインターネット予約しておいたその日のオペラのチケットを受け取りに行く。チケットセンター入り口で「トスカ?」と男に聞かれる。翌日のトスカは全席売り切れで、不要のチケットを売りに来ているようだ。

アルベルティーナ(写真)Albertina
の横で馬車がたむろしているのを見て母は大喜び。写真を撮ってからノイヤーマルクト、プランケンガッセ、ドロテアガッセをウィンドウショッピング。今日は日曜日の上祭日でどこもお休み。ドブリンガー(有名な楽譜屋。ちょっと寄りたかったが今日はお休み)の前を通り、グラーベンに出てからシュテファンを見学(写真)。Schtephan
さらにペーター教会(写真:右)Peterを見てからコールマルクトを歩き、王宮の前に出る。ここで写真を撮ったりしていると早くも11時。約束の時間まであと30分だ。しかしシャウフラーガッセを抜けて行くとすぐに目的のブルク劇場で、十分に間に合った。天気は快晴に近く、かなり暑い。家内は市庁舎側に渡っていろいろ写真を撮っている。

まだ時間があったので、交代して私も市庁舎で撮影(写真:左)。rathaus
天気も良いし花が咲いていてとても美しい。約束の時間にSさんがいらっしゃって、三人でブルク劇場脇のレストランに行く。あたりまえにドイツ語がぺらぺらのSさんがいるので安心だが、料理のメニューまでは訳しきれない。それは当然といえば当然で、どんな料理か日本語で説明するは大変だ。食事中はいろいろ話がはずんだ。Sさんは我々が三人ともウィーン訪問が初めてではないことに驚いていらっしゃる。母は28年ぶり2度目、家内が4度目、私は7度目だ。

体調が悪いせいで私は食欲があまりない。しかし皆がデザートを注文するのにつられて、ついアップフェル・シュトゥルーデル(要するにリンゴのパイ)を頼む。とても美味しいが、半分も食べられない。もったいないので、食べ残しを紙ナプキンに包み持って帰ることにした。1時半頃に店を後にしてタクシーに乗る。目的地はカーレンベルク。天気が良いので期待できそうだ。カーレンベルクはグリンツィンクから山道を登って行くはずなので、グリンツィンクを通るならグリンツィンクの墓地に寄ってもらえまいか、とリクエストする。

勿論G.マーラーの墓参りが目的だ。私はヴィーンに来たら必ずと言ってよいほどお参りするのだ(4年ぶり5回目)。墓地の入り口で待ってもらい、私だけ墓参り(写真:左)。Mahler入り口からはすぐなので、5分とかからない。すぐ近くにあるアルマ(言わずと知れたマーラー夫人。ファム・ファタルの典型である)、その娘マノン・グロピウスにも御挨拶。マノンの父親はバウハウスの創始者として著名な建築家グロピウスである。彼女はポリオで若死にし、その死を悼んでA.ベルクがヴァイオリン協奏曲を書いたことで知られている。花が一輪手向けられていた(写真:右。手前の三角形の墓標がマノンのもの。奥の黒い金属の墓標がアルマのもの。この墓標はマーラーとの間の娘アンナの作)。Alma

カーレンベルクはかなりの人ごみだった。それにかなり暑い。タクシーには待ってもらって、展望台でヴィーンの街を一望する。しかし残念ながら遠くはもやがかかっている。ジュースを飲みながらまたおしゃべり。そろそろ私たちはホテルに戻らなくてはならない。タクシーに乗り込もうとすると、運転手が、横にある教会を見たか?と聞いてくる。ちょうど見たいと思っていた私は渡りに船とばかり見学する(というより撮影したかった)。

タクシーで一端ホテルまで送っていただき、Sさんと母だけはそのままSさんのお宅に向かった。私たちは部屋で着替える。私はスーツ。私は職場で一切スーツを着ないので(ホリエモンか?)、久しぶりのスーツだ。かつてはスーツはオペラを聞きに(見に)行く時と冠婚葬祭しか着ないとうそぶいていたものだが、その割に昨今オペラも見る機会が少なくなっている。それにしても今日はよりによって最も長い出し物の一つ「神々の黄昏」である。体が持つだろうかと心配だった。オペラの感想は稿を改めることにして(こちらです)、先に進むことにする。(写真左:国立歌劇場階段ホールにて)
(写真:右 ロビーにあるロダン作のマーラー像)oper

Mahler2
この曲は日本でもほとんど聞くチャンスがないし、ヴィーンでもこのシーズン(昨年9月〜今年6月)に二回だけ。偶然とは言え、ちょうど9年前と今年と二回この曲をヴィーンで聴けたのはラッキーとしか言い様がない。5時に開演してハネたのが10時半。体調不十分のうえ、今度は家内までが不調を訴え始めたので、昨日同様簡単に食事をしてホテルに戻る。ホテルではちゃんと母が部屋にいた。練習の甲斐があって鍵は大丈夫だったようだ。熱は36度台に下がり、私は一応回復した。
(続く)

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2005オーストリア紀行2

4月30日:
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明らかに熱っぽく、体温を測ると38度。軽く朝食を食べる。母と家内の旅支度を待つ間に、庭の花の写真を数枚撮る。_4300960
「‘カメラ小僧’している位だから大丈夫」と家内。6時前に三人で出発。あらかじめ夫婦二人のスーツケースは成田宛てに送ってあり、母のもの一つと手荷物だけなのでそれほど辛くはない。大通りまで行ってタクシーを拾い、京成上野駅まで。スカイライナーの始発は6時半。余裕を持って間に合った。一週間前にインターネットでスカイライナーの切符を予約しようとしたら満席。ただしそこに、「旅行業者に頼めば予約可能かもしれない」旨の表示があったので、東広島のツーリーストで聞いてみたところ「京成スカイライナーって何ですか?聞いたことがない」という返事(おいおい!)。まぁ気を取り直して説明すると端末をカチャカチャして、予約可能。実際に行ってみると喫煙席だったのだが、贅沢は言えない。

一時間ほどで第二ターミナル着。さすがにGWだけあって、出発ロビーはすごい人だ。宅配業者のカウンターでスーツケースを受け取りチェックイン。知らずにビジネスクラスのカウンターに並んでいたところ、係員が近づき、「お客様はビジネスクラスですか?」と聞いてきた。ビジネスクラスの客にしては貧乏そうだったのだろう。出発までは1時間半ほどある。薬局に行って体温計を買う。早速検温させられる。だるくて歩くのは苦痛。早めにパスポート・チェックを受けることにして行列に。手荷物検査だけで20分位並ぶ。その後にパスポート・チェック。搭乗口の待合室に言って休憩。座っている分にはなんとかなる。

10時頃に搭乗。ここでもパスポートのチェック。オーストリア航空(OS)の機内は赤と白に統一されていて相変わらずセンスがよい。(写真左:搭乗機)OS客室乗務員の制服も赤で、品がよい。全日空(ANA)との共同運行便ということで、以前はANAの客室乗務員が何人か同乗して、ANAの制服を着ていたが、今回は日本人の乗務員を含め全員OSの制服だ。恐らく逆に全日空の機材を使う共同運行便は全員ANAの客室乗務員なのだろう。

定刻に出発。機内のオーディオ・サービスは、OSが断然よい・・・はずだった。クラシックのチャンネルだけで3つあったのだが、今回乗った飛行機はオーディオの調子が悪く(実はビジュアルも)、クラシックはほとんど使えない。iPodを持ってきてよかった。食欲だけは落ちていないので、機内食は楽しみだ。10年前にOSに乗ったときに、‘fish or meat?’と聞かれて、‘meat’を選択。しかし、何とその‘fish’とは鰻だったのだ。確かにfishには違いがないが、鰻は鰻と言ってくれないと。そして今回もまさにfishとは鰻。しかし前回と異なり、日本人乗務員が「鰻」と言ってしまったから・・・私の前で「品切れ」。母は近年コレステロールを心配して鰻は食べないし、私が先日友人と鰻の蒲焼きを食べたことを聞いて、「食べるな」と電話までしてくるというのに、「美味しいわよ」とか何とか言いながら平気な顔で鰻を食っている。いつかOSの鰻を食ってやる。(写真右:meatの方の機内食)meat


現在は夏時間なので時差は7時間。10時半に出発し、到着は現地の午後3時半だ。12時間乗っているわけだが、母は早くも飽きた様子。日本時間のままの時計を見て、「今午後1時半だからあと2時間ね」。あのー、9時間なんですけど。

熱があるというので、数時間おきに検温させられる。ごそごそ脇を開けるのも変なので、舌下で測るが、これも他人からみると十分変だろう。咳でもゴホンとしているふりをして口から飛び出た体温計を拳で隠して測る。ちっとも下がらないし脚はだるい。あまり映画を見る気もおこらないが、米国版の‘Shall we dance?’をやっている。ビデオ装置の調子も悪く、画面は筋が何本も入っているし、音声も英語チャンネルでフランス語吹き替えになったり、そうかと思うといきなり日本語になったり、めちゃくちゃ。それでも途中から画像だけは何とかみられるようになったので、音声抜きで見る。ストーリーはオリジナルの日本語版で知っているからこれで十分だ。うわさ通りかなり日本語版に忠実でマイナス点は少ないが、プラスになる部分は無い。つまり役者が好きなら別だが、日本語バージョンを見ていればよいということ。楽しみはどこが違うかをチェックすること位だ。

ヴィーン着後円をユーロに換金してから空港正面のリムジンバス乗り場へ。以前はヴィーン・ミッテ(中央駅)にあるヒルトン・ホテル前のターミナル行きだったのに、空港とミッテを結ぶ高速鉄道が開通した影響か、バスの行き先はシュヴェーデン・プラッツ(広場)行きになっている。この方が市の中心にやや近く便利だ。しかし到着したシュヴェーデン・プラッツのバス停は分かりにくいところだ。知らなければ逆に空港行きに乗るとき慌てそうだ。

地下鉄の8日間有効切符を買ってカールス・プラッツへ出る。この8日間有効切符は複数の人で8枚つづりとして使うこともできて便利だ。勿論市内なら市電でもバスでも使える。カールス・プラッツから三人でガラガラ荷物を引きずってホテルを探す。あらかじめインターネットでダウンロードしていた案内地図を見ていくが、ホテルがあるべきはずの場所にない。結局地図がいいかげんで、住所を頼りにした方が賢明だろうとの判断でようやくたどりつく。市電の停留所に近く一度分かってしまえば便利なところだ。チェックインして一休み。私には食事に行く元気しか残っていない。熱は相変わらず38度前後。

食事のために市電でオペラ前まで行き、ケルントナー通りに出て、行きつけのレストランに入る。と言ってもそこはカフェテリアスタイルで自分の好きな料理や飲み物を取ってレジで支払うというもの。込み入った料理をメニューから理解できない時にはうってつけの場所だ。特に食欲が無いときにはここに限る。

食後やや元気が出たのでケルントナー通りをシュテファン大聖堂の前までそぞろ歩き。オペラの前まで戻って市電でホテルに帰る。フロントでヴィーン在住のピアニストSさんから電話があった旨の連絡を受ける。母の再従姉妹で福岡出身。福岡でリサイタルをされたときには当時熊本にいた私たち夫婦は招待していただいたが、帰りのバスの時間が迫っていて御本人にお会いすることができずじまいになり、母以外はまだ直接お目にかかったことがない。今回はあらかじめ葉書でオーストリア訪問の連絡をしていたのだ。

部屋に帰ってしばらくするとSさんから電話があり、翌日にブルク劇場の前で落ちあい、食事をすることにする。歩いて汗をかいたせいか熱はやや下がり37度台になる。シャワーを浴びてベッドに潜り込む。もう残りの二人のことをかまう余裕は残っていない。Zzzzzzz
(続く)

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2005オーストリア紀行1

日頃の親不孝を払拭しようと、母を連れて私たち夫婦と三人で連休を利用してオーストリア(豪州ではない!)に行ってきました。かえって親不孝の上塗りになった、親孝行に名を借りた親不孝だ、という感もありますが、それはさておきドタバタ紀行文の始まりはじまり・・・。

4月29日:

朝からベランダの植物にたっぷりと「餌」を与える。結構重労働。バケツに7〜8杯だろうか。新聞配達は止めたので今日から読めない。明日から止めてもよいのだが、今の新聞屋は連絡しても止めるのを忘れる前科があるので確認するため今日から止めておいたのである。外でハルゼミが賑やかに合唱している。
家内が忘れ物チェックをしたいというので、思いついたものを次々に言わされる。「パスポート」?、「薬」?、「ハンカチ」?、「傘」?、「カメラ」?、「カメラ用バッテリー」?・・・(5分続くので以下略)。

家を出て30分ほどで空港に。空港に着いて、(そういえば)「腕時計」?と聞いて「無い、忘れた」。なぜ家にいるときには(すでに持っている)ものばかり聞いて、今ごろ「腕時計」を聞くのか、と怒られる。私にとって外出するときに腕時計をしないというのは想定外なのだ。

午後3時頃の便で上京。この日は東広島もポカポカだったが、東京は暑い。モノレール、山手線を乗り継ぎ有楽町へ。ビックカメラで家内のデジカメ用ポーチなどを購入。6時過ぎに実家の最寄り駅に着き、近くのファミリーレストランで食事を済ませ家に。明日は早起きなので私にとっては非常に珍しく「その日のうちに」寝る。しかし日頃1〜2時過ぎに寝るのが当たり前なのでなかなか寝つかれない。

いや、寝つかれない理由はそれだけではなかった。次第に脚全体がだるくなり、眠るどころではない苦痛を感じ始める。数時間後にようやくだるさは低減しウトウトできるようになった。しかしすでに起床時間だ。
(続く)

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