June 27, 2005
だいぶ間が空いてしまいました。今日は本の紹介。饗庭 孝男 著「故郷の廃家」(新潮社)。あまり読書をしない私ですが、評判を聞いて興味を持ち、読んでみました。何とも言えぬ感動をもたらしてくれました。それは決して派手なものではありませんが、静かなオルガンのペダル音のように低く、重く体の中にしみわたってくるのです。
この本は、ひと言で言ってしまえば饗庭家の歴史について、古くからのその地域文化とかかわりながら解いてゆき、さらにその文脈の中で御自身の祖父母、両親、兄弟、叔父、叔母についての思い出を語っているものなのです。生まれ育った環境も地方も時代も異なり、その多くの体験は私と共有するものではありませんし、相似形ですらないのですが、本質的な部分では日本人として、あるいは人間として普遍的な事象であり、もっと深い部分で「共有」しているがゆえに、あるいは語られていることが「真実」であるがゆえに非常に感銘深く心に響くのでしょう。
著者は「自らの過去を遡ることは、これら己をとりまく多くの存在たちの生きた歴史をその遠近法のうちに置くことなのだ」といい、「多くの死者たちがまわりにふえて、やがてその死者たちの海に自らもゆっくりと沈んでいくのであろう。一つずつがブロックとなってそのあたらしい死者の内閉された遠近法のなかに相貌をみせる。それらは他の惑星のような無数の人さまざまな歴史の円環と交差し、後にやってくるものに、人間の生死とは何かを語ろうとするのである。」ととくのです。そして、「語り部であることを自覚したものは、その瞬間から、語るべき言葉を失い、あるいは持たなかったものたちのために語らねばならない。」と。(以上「」内引用)
若いときには「歴史」とは自分の後ろにあるものとして、距離を持って考えているものですが、歳をとり身近な人の「死」を体験していくうちに、すでに自分が歴史の「海」の中を歩いていて、「歴史」が後ろだけではなく、右にも左にも、そして前にすらあることに気づくものです。私も語り部なのでしょうか?「語るべき言葉を失い、あるいは持たなかったものたち」のために語るときが来るのでしょうか?
おすすめする一冊です。

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