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November 2005

November 25, 2005

Nov. 25, 2005

このところ、2002年にベルリン・フィルを離れたC.アバドのマーラーの交響曲のCDやDVDのリリースが続いています。ベルリン・フィル時代末期に録音されたものを除いても、2003年にルツェルン音楽祭のオーケストラを指揮した2番、2004年にベルリン・フィルと録音した6番とルツェルン音楽祭オーケストラとの5番(DVDのみ)、そして今年ベルリン・フィルと演奏した4番がリリースされています。彼の最近の録音の中でマーラーが占める割合は突出していて、今一番力を入れていることがわかります。これらはすべて名演なのですが、その中でも今年録音され、つい先日リリースされた4番は極め付けだと思います。雑用から開放されたためでしょうか、スコアの読みが一段と深化しているように感じます。

マーラーの音楽は美しいメロディにあふれていますが、だからといって「きれい事」(美音)に終始した音楽ではないことは明らかです。たとえばホルンの割れたような荒々しい音を要求するゲシュトプフト奏法を使用したり、金管や木管楽器の朝顔を上に向けて演奏させて生々しい素の音を出させたり等々。さらにテンポの急速な変化。急停止と言ってもよいでしょうが、早いパッセージが続いて、瞬間的に低速にするのです。これらの奏法、テンポの変化を、かつては多くの指揮者は、無視したり、お茶を濁す程度で終わらせたりしたものです。もちろんこれらは個別に処理すればよいというものではなく、全体を眺めて調和を図るべきであることは言うまでもありません。

マーラーの音楽は旋律線、主旋律を追いかけていっただけでも楽しめるのですが、さらにその陰で他の楽器が何をしているのか注意深く聞いていると、その面白さがいっそう分かるものです。下の方でおとなしく静かに弾いていたはずのコントラバスがいきなりffでゴリゴリゴリッ!と「合の手」を入れてみたり、裏でホルンが4本一緒になってゲシュトプフト奏法で「お囃子」を吹いたり、2つの楽器が一方はfからpへ音量を落としているのにもう一方の楽器は同時にpからfに音量をあげる、等々で、これらの指示をその通り実行したときの、驚くべき効果を知ってしまうと病みつきになるものです。と言うよりも、作曲者が望んでいたものは何かが分かったと言うべきでしょう。

前置きが長くなりましたが、アバドの新録音の第4交響曲について簡単に見ていきます。第1楽章では、有名なフルート4本のユニゾン(一度聞いたら忘れられない印象的な箇所)以下のモザイク的部分で、オーケストラの中で楽器・音色が次々に変わりながら立ち上る炎のような楽句。この目まぐるしい移り変わりをこれほど見事に再現された演奏を私は他に知りません。コーダのアクセルのかけ方も申し分ありません。

美しい第3楽章も決して「美音」に終始することなく、終わり付近でのアレグロ・モルトからアンダンテへの急ブレーキ、その後の「前進」と書かれた爆発、さらにその後の静かなコーダ。これらもすばらしいものです。ソプラノのフレミングの歌唱は、正直言って声質は私の好みとはちょっと違うのですが(嫌いというわけではない)、歌詞に則した見事な歌ではないでしょうか。表面的になっていません(カップリングされたA.ベルクもすばらしいです)。

アバドの最近のマーラーは、非常に曲全体としての完成度が高く、アンバランスにとんがっていたりする部分が無くなっています。こう言うとアンバランスがマーラーなのでは?と誤解されそうですが、上にも書いたように、私が言っているのは、作品としてまとめるには、「尖ったもの」をどのように「バランス」して配置するかということです。単に楽譜通り演奏して済むことではないからです。

DGG(ユニバーサル・クラシックス)からリリース。

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November 24, 2005

Nov. 24, 2005

人間は自分のまわりに普通にあることを、どこでも普遍的に同じだと考える傾向があるものですが、特に首都圏の人は、TVCMに関してはそれがローカルなコマーシャルだと思っていないことが多いのではないでしょうか?

最近、「アップルのiPodのTVCMが・・・」などという記事を見ることがありますが、全国に流れているなんて考えてはいけません。広島では一度も見たことがありません。関西ではどうか知りませんが、首都圏ローカルのコマーシャルなのではないでしょうか。たしかに東京に行ったときにはしばしば目にしました。

私も東京に住んでいたときはあまり意識したことがなかったことですが、その昔、「ナボナはお菓子のホームラン王」なんて言う、現ソフトバンク王監督の有名なTVCMがありましたが(今もあるのだろうか?)、首都圏ローカルです(いや東京ローカルかも)。熊本でも広島でも多分「ナボナ」すら誰も知りません。東京の人は「オノデン」のコマーシャル・ソングは誰でも歌えると思いますが(?)、勿論ローカル。

こういったことは勿論地方でもあるのですが、地方に住んでいる人は、それが逆に全国で流れるなどと考えません。しかし、なぜか首都圏の人は地方でも流れていると考えるように感じます。熊本に住んでいるときに、東京で「再春館製薬所」のコマーシャルが流れているのを見て驚いたことがあります。

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November 22, 2005

Nov. 22, 2005

先週末の土曜日、ソニーのウォークマンAシリーズが発売されたようです。言わずと知れたiPodの刺客のはずでしたが、9月の製品発表(2ヶ月後!に発売)当日がアップルの新iPod「即日!」発売にぶつかり、発売直前には、iPod国内シェア60%がニュースになるなど散々。60%のシェアと言っても、アップルストアの販売分などが含まれていないので、実際はもっと高いのではないでしょうか。さらにウェブで見ると、製品評価も今一つよろしくないようで・・・。

私はこの原因は「iPod」に対する考え方の違いから来ているのではないかと思っています。ソニーはかつての栄光が災いして(?)、「iPod」を分かっていない。「ウォークマン」ではないにもかかわらず、「ウォークマン」だと思っているのではないでしょうか(ウォークマンの呪縛)。いまだにウォークマンというネーミングをしていることでもそのことがうかがえます(いや、もしかすると気づいているのに「作れない」のかも)。よく、「iPod」こそ、ウォークマンを作ったソニーの得意分野で、誰よりも先に手がけるべき製品だった、ということを聞いたり、読んだりしますが、それは「iPod」を「ウォークマン」だと思っているからで、ちょっと違うのではないかと思います。私はiPodはソフトとハードを両方作っているアップルだからこそできた、非常にアップルらしい製品だと思っています。

単にシェアの違いであるなら、それほど問題はないと思います。Macだって、3〜4%です。でもWiodowsとMacのシェアの違いとは根本的に違うのです。MacにはWindowsにはない、「代え難い魅力」があるのですが、ソニーのウォークマンAシリーズにはないのではないかと想像します。いや、似て非なるものと言ってもよいのでしょう。あのMacOS(一体マイクロソフトが真似をしだして何年経つのだろうか?いまだに実現できない)を作り上げた会社にソフトで対抗するのは難しいと思います。数ヶ月や半年、せいぜい1年でできるわけがない・・・。

ここまでシェアが増えると、サードパーティから様々な関連商品が発売されて、それがまたiPodをもり立てていき、魅力が増すことになります。個人的にはソニーが「ウォークマン」を作っているかぎり、勝ち目はないように思えます。早く別の方向=本来のソニーの原点に立ち返った製品を作るべきだと思います。このような製品はその意味で大歓迎です。ソニー・ファンでもある私の願いです。

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November 20, 2005

Nov. 20, 2005

今朝も氷点下0.7℃まで下がりましたが、久々にすっきりと晴れました。こんな感じです(写真左:家の近くのヤマザクラの木です。ちょうど飛行機が上を通過中でした):
sakura

昼からは天気に誘われて、呉市にある野呂山に出かけました。セミのいない季節に来たのは初めてかもしれません。花壇のマツバギクにヒメアカタテハが来ていたので、広角接写で一枚(右)。フリルのついたスカートをはいているようです。
himeaka

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November 19, 2005

Nov. 19, 2005

11月19日付け朝日新聞文化欄(他地方では別の日付かも知れません)に、広島大学の河原俊雄氏による、「欧州オペラ界 広がる過激な演出」という評論が出ています。非常にラフに言うと、オペラは言うまでもなく舞台芸術なので、演出が必要不可欠なのですが、昔は音楽、歌が主であって演出はあくまでも引き立て役で、従だったのです。ところが、最近では演出の占める割合が増えてきて、主であったはずの音楽にまで「口をはさむ」ようになったということです。

まず事情を簡単に説明します。以前から、時代設定を現代に「してしまう」演出がありました。たとえばヴァーグナーの扱う北欧神話の神様がスーツ姿で登場したり、現代のその辺のアパートの部屋に住んでいたりするのです。これはかつて「ロミオとジュリエット」を「ウエストサイド・ストーリー」に焼き直したのとは根本的に違うと思います。「ウエストサイド」の場合、「ロミオ」が時代普遍的な内容であったことに着目して、「すべて」を作り直しています。ところが、音楽は基本的に同じであって、演出だけを現代にもってくるというのは、例外もありますが私は無理があると思っています。これらの先駆けとなった演出で、センセーショナルになったものは、私の知る限り70年代にバイロイトのヴァーグナー音楽祭でパトリス・シェローが演出した「リング」だったのではないかと思います(指揮はブレーズ)。森の小鳥が、鳥カゴの中に入って登場したり、岩山がマッターホルンだったりと当時賛否両論話題になりました。しかし今から見ると、この演出は優れたものだったのではないかと思います。神話のもつ抽象性がゆるす演出だったということでしょう。その意味で「マイスタージンガー」をこの流儀で演出するのは難しいと思います。

さて、私は決して昔ながらの具象的な衣装・装置で演出せよと言っているのではないのですが、このような時代を変える演出は基本的にあまり好きではありません。しかし、百歩譲ればまあ我慢できます。ところが、最近さらに「症状」は進んでいる、というのが河原俊雄氏の報告です。演出の「新解釈」(珍解釈?)のために、当然のように音楽の表情と演出が合わなくなってくるのです。例えば、ハッピーエンドのつもりで作曲者が書いた音楽が、ハッピーエンドは実は夢で、実は悲しい結末だったのだと演出が代われば、悲しい結末に楽しい音楽が合わなくなるのは当然です。そこで、音符までは変えられないので、演奏の表情付け、テンポを変えるというのです。

たとえば、「ラ・トラビアータ(椿姫)」で、最後の場面、結核で死の床のヴィオレッタのもとに、アルフレードが駆けつけて、その胸に抱かれながら死ぬ、というのが元々の設定で、作曲者ヴェルディもそれを疑ったことはなかったはずですが、それをすべては死の床にあったヴィオレッタの「夢」であって、実際には誰も来ず、寂しく死んでいった、というような演出があるとどこかで聞いたことがあります。「トリスタンとイゾルデ」でも同様に、死の床のトリスタンのもとにイゾルデが駆けつけたのは、熱に浮かされたトリスタンの「夢」で、実際は来なかった、という演出があるようです。完全なハッピーエンドではないですが、死の床の主人公のところに、もう一人(異性の)主人公が駆けつけ、「間に合う」というのは見ているものに「よかった!」と思わせるものです。当然音楽もそのように書いてある(ついでに言えば作曲者自身の書いた、スコア上のト書きも)。それを変える演出はやはりルール違反をしていると思わずにいられません。

私は声を大きくして言いたい。邪道だと。作曲者が考えたこともない、ト書きはもちろん筋書きまで変える演出は別のところでやって下さい。

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November 18, 2005

Nov. 18, 2005

いよいよ東広島は最低気温が氷点下になりました。冬本番です。

昨年、ベランダにツチイナゴが来て冬越ししていきました。夜は枯れ葉などの陰に隠れて身を潜め、昼間日が出ると出てきて日向ぼっこをする姿は、ユーモラスでとてもかわいいものでした。毎朝、毎晩どうしているか気になってベランダを覗いていました。

今年は先週末に近所の草むらで何匹か「採集」してベランダに放してみました。1週間経って、そのうち2匹が気に入ってくれたようで、わが家で暮らしています。写真は2日経ったときのもの。ミカンの葉に乗って日向ぼっこ。ツルツルの葉っぱから滑り落ちないように「右手」でしっかりつかまっています。

日本本土では成虫で越冬するバッタはツチイナゴだけ。私のひそかな冬の楽しみです。
前年の冬を越したツチイナゴはこちら
tsuchiinago

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November 16, 2005

Nov. 16, 2005

日に日に寒くなってきましたが、お芋が食べたくなる方もいらっしゃるのでしょう。イモと聞いて何イモを想像されますか?やはりサツマイモでしょうか?ファスト・フード(話はそれますが、「ファースト・フード」だと勘違いされていませんか?「第一」でどうするんでしょ。「速い」んですよ!)の影響で、ジャガイモをイメージされる方も多いのかもしれませんね。私はホクホクのサトイモも大好きです。

ところで、6月に台湾に行ったときに、向こうでは「芋」と書いたら「タロ」と読んで、タロ芋のことを指すと教えてもらいました。サツマイモやジャガイモのことを「芋」とは書かないそうです。タロ芋なんて暖かな地方にしかありませんから、これは台湾固有のことで、中国本土は違うのかもしれませんね。どなたか御存知の方は御教示下さい。街中にはタロ芋の入ったスープを出す店があって、甘くて美味しかったです。

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November 11, 2005

Nov. 11, 2005

2年ほど前の正月、このブログの前身のページにだったでしょうか、DATに代わる高音質のデジタル録音機を早く発売して欲しいということを書いたことがあります。そしてつい最近、最後までDATの製造・販売をしていたソニーが、製造を終了しました。いよいよ今あるDATが修理不能になった段階で、私が録音したテープの再生すらできなくなるわけです。これは以前から予想されたことでしたので、1、2年前から録音をすべてパソコンを使ってハードディスク上にコピーして保存していました。

しかし今後の録音については、「DATに代わる高音質のデジタル録音機」、それも携帯型のものの登場を待っていました。今までもノートパソコン並みの大きさ・重さを我慢すれば、コンパクト・フラッシュに音声記録する録音機は発売されていたのですが、野外にこのような録音機一式や撮影機材一式などを抱えていくのはとても無理でした。

ところがようやく最近になって、ぼちぼち携帯型の高音質のデジタル録音機が発表されるようになりました。中でも、ソニーから発売されるPCM-D1という機種は、ほぼ私の用途にピッタリのものだと思います。問題はその約20万円という価格。たしかに、4Gのメモリ、高性能なステレオマイクを内蔵しているので、13万円の本体+4万円のメモリ+3万円のマイクと考えればよいのでしょうが、20万は20万なわけですね。どうせ現在はシーズンオフですし、少々様子をみることにします。ちょっと面白かったのは、この録音機、デジタル音声入力の端子がないのです。マイクによる録音に特化しているとも見えますが、恐らくデジタルコピーの防止でしょう。なにせリニアPCM 96kHz 24ビット録音という、CDをはるかに上回る録音ができるのですから。いずれにせよ、録音機の老舗ソニーが、久々に意気込みをもって出してきたという感じがしますので、その点うれしい限りです。この分野に明るさが見えてきました。

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November 06, 2005

Nov. 6, 2005

今日は朝から雨。しかし昨日はよい天気だったので、呉市の蒲刈島に行ってきました。ある海岸沿いのマツ林で、オキザリス(カタバミの園芸品種)の一群を見つけたので写真を撮ってみました(左)。Oxalis1

そして家内のカメラを借りて広角の接写で撮ったのが右の写真です。どちらがお好みでしょうか?
今から来年のシーズンの練習をしている、ということですが、結構楽しんでいます。
Oxalis2

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November 05, 2005

Nov. 5, 2005

どうも毎年セミのシーズンが終わると写真を撮る意欲が無くなります。春はサクラやスミレ、コブシ、カタクリの写真などは楽しんで撮影できるのですが、これは多分、春が来た喜びや長い間写真を撮らなかったことで、意欲が出てくるのだと思います。しかし秋になると紅葉の写真、コスモスの写真など全く関心がおきない・・・。でも今年は「カメラ小僧」である以上、出かけるときにはできるだけカメラを持って出かけるようにしています。

ということで、最近撮った紅葉の写真を二枚。まず広島空港近くの日本庭園で撮ったもみじ(左:10月30日撮影)。
kouyou

そして、職場の裏手のアメリカフウの木です(右:11月4日撮影)。
fu

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November 02, 2005

Nov. 2, 2005

本当にすみません。すっかり間があいてしまいました。実は途中まで書いていて下書きとして一時保存していた記事もあったのですが、旬の時期をはずして今更アップできない内容になってしまいました。

こういうものは筆が止まると書くのが億劫になるというのか、コツがつかめなくなるというのか、書けなくなるものだと思いました。これからはリハビリのつもりで、短めのものでもちょくちょくアップするように心がけますので、御贔屓に。

ところで、マイクロソフト系のフォントをつかって、全角のティルダ「〜」を出すと、上がり下がりが逆になることに気づいたのですが、ひょっとしてWindows使っている人は皆左から右へ「下がってから上がる」のでしょうか?最近ワープロで印刷した文書を見て気持ちが悪いと思ったのですが、どうなっているのでしょう。数学記号としても使うティルダですから、「上がって下がる」にしてほしいものです。

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