日本史/Oct. 27, 2006
世界史で思い出したのですが・・・
高校の日本史の試験で、人名を漢字で書けなくて平仮名にしたのですが・・・、合っているのに零点。漢字でないとダメだと言われました。全く分からなかった人と同じというのは未だに合点がいきません。ちなみに、歴史の前後左右を含め、「事件」の流れも理解していたのに、平仮名で書いたら零点。ひどいと思いますね。満点にしろとは言いませんが、あの先生は「何が最も大切なのか」という歴史の本質を見失っていたのではないだろうか。
世界史で思い出したのですが・・・
高校の日本史の試験で、人名を漢字で書けなくて平仮名にしたのですが・・・、合っているのに零点。漢字でないとダメだと言われました。全く分からなかった人と同じというのは未だに合点がいきません。ちなみに、歴史の前後左右を含め、「事件」の流れも理解していたのに、平仮名で書いたら零点。ひどいと思いますね。満点にしろとは言いませんが、あの先生は「何が最も大切なのか」という歴史の本質を見失っていたのではないだろうか。
高校で必修科目の世界史が教えられていなかった問題は、全国規模で広がっているようです。初めて聞いた時には、必修であることを忘れてカリキュラムを作成した、考えられないミスだと思っていたのですが、そうではなくて「必修と知っていながら」開講していなかったのですね。驚くべきことです。かねてから高校の大学予備校化ということが言われていましたが、ここまでとは知りませんでした。
前にも書いたことがありますが、私の高校では必修か選択かも知らないうちに、全員地理、世界史、日本史、倫理社会、政治経済(すべて当時の科目)を取らされました。理科も生物、地学、化学、物理。理系はさらに化学、物理の選択があったと記憶しています。理系だったので、社会の科目はこれが最後の学習チャンスになったわけで、多くのことは忘却の彼方に消えていますが、世界史は好きな科目で、今でも結構いろいろ覚えています。
かつて工学部の学生と話していても生物を習っていない人も多く、話が通じないこともありました。受験科目と関係なく、全部聞かせるべきだと思うのです。その方が世界が広がります。私の受験科目は化学と物理の2科目でしたが、生物を履修していたおかげで、ミトコンドリアなどと言われても困りません(これが趣味の「昆虫」関連の文献を読む時に役に立っている!)。
話を戻しますが、これから年末まで集中的に世界史の授業を聞かなければならない生徒たちも大変でしょうが、その授業をする先生も大変だな(準備できるのだろうか?)と思うのです。世の中の人が考えているほど(?)授業は楽ではありません。
共同通信のニュースによると、「英国の子供の5人に1人が、地図上で自国の位置を示せず」、中には「ロンドン在住にもかかわらず、英国の首都がどこか分からない子供もいた」とか。それで思い出したのですが、昔私が大学生の頃、ある国立大学(!)の附属中学に通う男の子に数学を教えていたのですが、ひょんなことから各国の首都についての話になって、その子がイギリスの首都もフランスの首都も分からないことにビックリし、まさかとは思いつつアメリカの首都はどこか聞いたのです。すると、おいおいいくら何でもそこまでオチテないよ、という顔をして言った答えが「ニューヨーク」。勿論ソ連(当時)の首都もダメ。日本の首都も聞いてみればよかったか・・・。
私だって全世界の国々の首都をそらんじているわけではないですし、どこまで常識でどこからは常識ではないのか分かりませんが、イギリス、フランス、アメリカの首都を知らないというのはないでしょう。そう言えば、今から十年ほど前だったか、友人の中国文学者が「今の学生は台湾(中華民国)の首都を知らない。呆れてしまう。」と嘆いていました。実はその場にいた、私を含む全員が「台北」だと思っていたのですが・・・。正解は「南京」だそうです。
自慢じゃないが、運動嫌いである。スポーツ観戦が嫌いなのではなく、自分でするのが、である。このことは以前も書いたような気もする。さらに運動神経がないので、ほとんどのことは人並み以下。例外は逆上がりや蹴上がりができたこと、駆けっこは速かったこと、か。そんなわけで中学校3年間に幾度となく5段階評価で1をもらったほどだ。特に「息がきれる」ような種類のスポーツが大嫌い、というより苦痛だった。今でもこれは変わらないが、山登りだけはするようになった。セミたちに会うためには仕方ないのである。当然車で行けるところまでは車で登るのは言うまでもない。
そんな私だが、熊本にいた時から健康維持のため水泳だけはしていた。パチャパチャしたり、ゆったり浮かんでいるのは気持ちがいい・・・。私が泳ぐのだから、当然一回に何キロも泳いだり、タイムトライアルなんていうことはしない。水遊びに毛が生えたようなものだ。しかしそんな水泳でもするとしないでは大違い。肩凝りも頭痛も改善された。
ところが東広島には、近くに気に入るプール・スイミングスクールがなかったのだ。そのためこちらに来てから6年間水泳ができなかったのである。それが最近ちょっと離れたところによいプールを発見し、入会した。設備も充実していて、快適である。これから冬の間、温泉気分で楽しむつもりである。
発売中の「芸術新潮」10月号はG.クリムトの特集なので、買ってみました。クリムトに限らず、いわゆる世紀末ヴィーンの芸術はマーラーとの関連で非常に関心があるからです。さて、その中で、クリムトが多くの風景画を描いた、アッターゼー(湖)−オーストリア/ザルツブルグ郊外のザルツカンマーグートと言われる地域にある湖。すぐ隣にあるモントゼー(訳せば「月湖」)にある教会は映画「サウンド・オブ・ミュージック」の結婚式のシーンのロケで使われた教会として現在も観光地になっている−の紹介が出ています(「画家が愛した湖 避暑地アッターゼー」)。どの絵がどの辺で描いたものかについて地図入りで解説されていて、大変面白いです。実は今から11年ほど前、私はハネムーンでここを訪ねているので非常に懐かしいのです。
私が行ったのはちょうどゴールデン・ウィークの頃。あたりは梨(すもも?)の白い花がまるで日本のサクラのように咲きみだれ、野山はタンポポのような黄色い花が咲いていて、飽和状態になるほどの美しさでした。ザルツブルグからバスでモントゼーまで行って乗換え、アッター湖畔のウンターアッハまで行きましたが、その先のバスがほとんど無く、インフォメーションに飛び込んで相談して、タクシーを呼んでもらいました。タクシーで湖対岸のシュタインバッハまで行きました。ここはマーラーが作曲小屋(再建かもしれないが現存)を建てて第2、第3交響曲を作曲したところなのです。現在は知りませんが、夏の時期を除いてバスの本数も非常に少なく、交通の便が悪いところでした。しかしウンターアッハにしてもシュタインバッハにしてもクリムトの風景画そのままの風景で、クリムトの絵を見るたびにあの飽和状態になるほどの美しさが蘇って来るのです。
写真はウンターアッハから見たアッター湖(1995年5月)
高校生のとき、隣の席の女の子が「昨日シカゴに行ってきた」と言ったのですが、前日の放課後から翌朝までの間にシカゴ往復はできるわけがなかったのですし、事実前の日もその子はちゃんと出席していたのでした。
・・・等という遠い昔のことを思い出してしまったのですが、この週末2泊して‘ルツェルン’に行ってきました。かねてから話題になっていた、ルツェルン・フェスティバル東京公演のオーケストラコンサートです(於、サントリーホール)。曲はモーツァルトの演奏会用アリア(ソプラノ)3曲と、マーラーの第6交響曲。指揮はもちろんアバド。私はオルガン前のP席で聞きました。
縦、横の線をピシッと揃えるというベルリンフィル的な完璧さを誇るオーケストラではありませんでしたが、別の意味で凄い完成度の高い演奏でした。
K. 416のモーツァルトのアリアを聞いて有名なケルビーノのアリア‘Che cosa e` amor(恋とはどんなものかしら)’を思い出しました。ソプラノのハルニッシュの声は好みにぴったりというわけではありませんが、好きな部類の声でした。これから注目していきたいと思います。
マーラー。コントラバスが5プルト10人、チェロとビオラが8プルト16人(たぶん)。バイオリンは数える気がしなかったので不明。20型以上だったのでしょうか。私はシモテのハンマーの後ろにいたのですが、舞台に勢揃いしたカミテの低弦群は家内が呟いた「満員電車みたい」という言葉がぴったりでした。あきらかに低域を厚くしているようでしたが、実際この効果は曲の冒頭から明らかでした。ソリストとしても著名な名手が要所にいるので、特に木管はすばらしかったと思います。ハープも3人で、トップは吉野直子さんでした。
最近の国際マーラー協会の見解通り、中間の2つの楽章はアンダンテ、スケルッツォの順です。この順の実演を聞くのは今回初めてでしたが、あの第1楽章の後に、アンダンテはホッとさせられましたが、逆にスケルッツォの後にあの渾沌とした和音で長大なフィナーレが始まるのは聞く方も大変。マーラー自身が悩みに悩んだ理由もわかります。
オーケストラの後ろにいたので、当然音のバランスは通常CDなどで聞きなれた音とは違うのですが、アバドの指示や表情もわかり、さらに普段聞こえにくい「お囃子」が聞こえるので頭の中ではかえってバランスがとれて聞こえたようです。一昔、二昔前ならコメントの価値があったのでしょうが、「楽譜の指示通り『朝顔を持ち上げて』いた」などというのは今やコメントに値しない当たり前のことになったのでしょう、自然にこなされていてはっきりと音の違いが出ていました。マーラー特有の、楽器間の強弱による音の受け渡しや、突如「裏」にいたはずの楽器がffで「お囃子」をひく、なども同様。
ちょっと話がそれますが、予習でベルリンフィルとの演奏を聞いていて気づいた、終楽章で楽譜と異るいくつかの点を確かめようと思いました(ちょっとマニアックになりますが)。
こうしてみると、CDで見られる楽譜との違いの多くは指揮者の指示による変更ではなく、多分演奏のミスなのでしょう。編集後、十分にチェックしていないのでしょうか。
話がやや本筋からそれました。ここ数年私のマーラー演奏に対する好み、考えがかなり固まってきていて(歳とったのかもしれません)、最近のアバドの演奏はそういった私の好みにかなりピッタリとしています。今回の演奏もそういうことで非常に満足のいくものでした。最後のpizzが消えた後、三十秒ほどの静寂があったことは驚きでした。まさに教会堂でミサが終わったかのような、そんな気がしたものです。演奏後楽員達があちらこちらで互いに抱擁しあう姿が見られました。
10月14日サントリーホールにて久しぶりに言葉の話題。
音の感じからどうしても好きになれない、いや、それどころか嫌悪を感じる言葉・語というものはあるものです。私は初めて掲示板などで「つか」、「つーか」という語を見たときに、意味がすぐには分からなかったのですが、未だにこの語感が嫌でたまりません。見ても嫌ですし、発音するともっと嫌で、百歩譲ってこれを個人的なブログで使うならばともかく、知人友人以外の不特定多数が読むような場所で使って欲しくはありません。一時、「というか・・・」という言葉の使い方が問題になったような記憶があるのですが、さらにその先に進んだ気がします。言葉には発音時の感覚も含めてセンスというものがあるように思います。私自身も決して美しい日本語を使っているとは思いませんが、「つか」はどうしても私の美意識に反するのです。
ついでに掲示板などで見かける書き方で気に入らないのは、「こんにちは」「こんばんは」を「こんにちわ」「こんばんわ」と書くこと。小学校で、「私わ昨日遊園地に行きました」と書いたらペケをもらう、という経験がないのでしょうか。あるいは「こんにちは」が元来省略形(こんにちは如何おすごしですか?等の)であることを知らないのでしょうか。それともこれも一種の流行?現在は助詞として「は」を使うときの発音は「わ」と区別がなくなっていますが、本来「は」と「わ」は発音からして違っていたのでしょう。そんなことも意識して私は「こんにちわ」に気持ち悪さを感じます。
*どうも「こんにちわ」に違和感を覚える人は私だけではないようで、ちょっとネットで調べたら、「撲滅委員会」なるページまでありました。
通勤(片道15分の歩き)の途中にクリの木があって、いま実りの時をむかえています。このところ出勤の行き帰りに落ちている実をちょっと探して、拾って行くのが日課になっています。そんなにたくさんあるわけではなく、しかも栽培種ではないので実も大きくはないのですが、むしろ甘みが少なめで自然なおいしさがあります。たとえば写真を撮った日は4個拾ったわけです。
少ない日は翌日にまわすこともありますが、多い日は5個6個拾う日もあって、ほとんど毎日クリご飯。里山ならではのちょっとした楽しみです。
昔東京の実家にも小さなクリの木が1本あって、時々実ができていました。子供心に自分の家で取れたものを食べる、というのでなぜかワクワクしたものでした。
8日に最低気温のことを書きましたが、一日中寒いわけではなく、実は最高気温は連日24℃位まで上がります。つまり一日の朝と昼の温度差は17〜18度あるわけです。ここ何日かは天気の良い日が続いていて、連日そんな状態ですので、これは体にこたえます。ちなみに今朝の最低気温は8.4度(午前6時)で最高気温が26.1度(午後3時)。いま仕事部屋ではエアコンを入れています。この後午後9時頃には12〜13度位まで急降下するでしょう。
ここ西条(東広島市)では東京周辺にくらべ、毎年アブラゼミやツクツクボウシがいなくなる日が早いように思います。ジェットコースターのような連日の気温の上下は生き物には過酷なのかもしれません。もともと自律神経失調気味の私の体にも・・・。
いささか古い話になりますが、9月の初旬に東京に帰ったときに、たまたま近くの神社で秋の大祭の最中でした。ちょうど日曜日の昼間だったのですが、境内は昔ながらの屋台がたくさん出ていました。ヨーヨー釣、綿菓子等々。しかし何か昔と違うのです。よく見ると子供の姿がほとんどなく、いるのは大人ばかり。子供の数が少なくなったからなのか、子供が関心を示さなくなったのかわかりませんが、不思議な光景でした。たまたま私が見に行った数分だけのことならばよいのですが、ひょっとして現在祭りは子供の喜ぶものではなくなったのではないか?との疑問がおこりました。このままだと神社のお祭りというのも消えていくのでしょうか。
お祭りになると、神社からお囃子のピーヒャラ、ピーヒャラという音や、太鼓の音が聞こえ、時折家の前を通る神輿の賑わいが子供の心をわくわくさせ、特別に貰ったお小遣いを手にして境内に急いだものだったのですが・・・。
このページにいらっしゃる方々の中には、Googleなどの検索からの「一見さん」もいらっしゃるのですが、どのような検索ワードが多いのかをログで調べると、
最近ここにいらっしゃるようになった方々への参考にもなるかもしれませんので、書いてみました。
セミの鳴き声もほとんど途絶え、秋の虫の鳴き声で一杯の西条ですが、今朝の最低気温は10.0℃。先月15日に13.2度まで下がり、21日には10.9度、24日には10.3度まで下がったのですが、そこで踏みとどまり、その後はその水準で推移しています。10度を割り込むのも時間の問題で、今月下旬には5度位まで下がるでしょう。もう冬もそこまで来ていて、来春まで私には我慢の連続です。西条は自然も豊かで良いところだと思いますが、この寒さだけは何とかしてほしいところです。広島市や呉市は瀬戸内気候で温暖ですが、ここだけは北海道か東北の飛び地のような感じです。昨日、日帰りの出張で山口県宇部市まで行ったのですが、空気の暖かさがまるで違いました。「ぬくい」という言葉がぴったりのような・・・。私は冬が大嫌いです。
・・・と書いたとたん、今朝は一気に6.5℃まで下がりました。(10/9追記)
今日の日本経済新聞の記事で、音楽評論家の湯川れいこ氏が本屋での立ち読みを禁じるべきだという主張をされていました。それで思い出したのが、私の実家近く茗荷谷にあった本屋。ここの主人は立ち読みを見つけると、すぐにその客のところにとんでいき、「読むな」と言いに行っていたのですが・・・、ホンの数年で潰れました。
本の選び方、買い方は人、様々です。著者名、題名だけで買う人、中をじっくり吟味して買う人等々。買う本の種類によっても買い方は変わります。旅行のガイドブックを買うときには、目的の情報が載っているかどうか確認しないと買えません。専門書も同様。買ってみたが知りたかった情報はたった1行だけだった、となれば高いお金を払って本を買うことはまさに一か八かのギャンブルです。
問題は最近時々見かける、本屋で携帯のカメラで必要な部分を撮影する人。そこまで行かなくてもメモ用紙に写しとる人。これらの人は完全にルール違反。本屋を図書館と間違えているのでしょうか。こういう人がいるから、「立ち読み禁止」等と言う極端な意見が出てくるのです。
私は買う本はじっくり手にとって吟味し、気に入ったら買います。立ち読みで済まされるような本は、もともと価値がそれなりの本であって、立ち読みを禁止して売れるようになるわけではないでしょう。売り場に机や椅子まで用意して立ち読み推奨の本屋さんがありますが、いつ行っても繁盛しているように見え、潰れる気配はありません。安心して「買う」本を選べるからではないでしょうか。
3年ほど前の今頃、那覇市の国際通りを歩いていたときに、偶然ある靴屋のショールームの前に出ました。あまり期待もせずに覗いてみたのですが、それがビルケンシュトックというドイツの靴メーカーとの出会いになりました。ドイツのマイスターの仕事を思い起こさせる、作りのよさそうでデザインも優れた「仕事」に一目惚れ。しかしその時は荷物になるので、カタログを貰っただけで帰りました。直販店は広島にはありませんが、那覇の他東京などに数店舗あるようでした。
それ以来、東京に出た折に何点か購入したのですが、非常に丈夫でさすが‘ハンス・ザックス’の作品という感じです。やや高いのですが、結局安くつくのではないかと思っています。驚くのは毎年秋に送られてくるカタログ。まるで写真集か美術展の図録という趣で、立派な装丁でとても靴のカタログとは思えないもので、見ているだけで楽しめます。当分の間、私の御用達にするつもりです。
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