« January 2007 | Main | March 2007 »

February 2007

February 25, 2007

一定/Feb. 25, 2007

以前から気になっている言葉に「一定の」という言葉があります。ここで言うのは「ある程度」(大辞林)あるいは「限定された範囲内」という意味の使い方で、例えば「国民に一定の理解が得られた」等と使います。この意味で「一定」という語を使うようになったのは一体いつからなのでしょうか。せいぜい十年くらいではないかと思うのですがどうなのでしょう。家にある国語辞書を見ると、岩波の国語辞典第四版(1989)にも三省堂の新明解国語辞典(1972)にもこの使い方は出ておらず、本来の「定まった」、「変化のない」、「所定の」という意味しか出ていませんから、少なくとも二十年位前には一般的な使い方ではなかったことが想像されます。

上にも書いたインターネット版大辞林のような最近の辞書には出ているものもあるようですが、一体いつごろからどんなきっかけでこの使い方は使われるようになったのでしょうか。職業柄「一定」ときけば、定数(constant)のことだと思うので、定まっていなくて限定された範囲でOKというこの使い方には強い違和感があります。使いたくない日本語です。

| | Comments (2)

February 23, 2007

不安の時代/Feb. 23, 2007

最近占いブームだそうです。テレビを見ていてもそれは分かります。それを信じる信じないは個人の問題である、それは確かです。しかしマスコミがこぞって取り上げていると、マスコミ(多くは一流の新聞社がバックにいる)が「品質保証」していることになるのではないかと思います。先日の「あるある」事件でも、内容の裏付け自体がでっち上げだったことはあるものの、そもそもテレビでやっていたから、という理由だけで納豆買いに走った人が非常に多かったのだろうと想像します。ですから、占いもかなり多くの人が本気で信じているのではないかと思うのです。

血液型や星座による占いなども単なるお遊びやアドバイス程度で考えていれば問題ないのですが、幼稚園や学校で血液型によってクラス分けするとなると、これは大きな問題だと思います。血液型のように一見科学的に見える衣をまとっている場合は特に注意が必要です。血液型や星座に限らず占いが実際当たった経験がある、ということで信じている人は多いのですね。冷静に考えれば、当たったことにならないことでも、当たったように思わせるテクニックも大したものですし、ものによっては当たったことがあって当然ということもあります。

テレビの占い番組にしても、笑いながら見ているうちは良いのですが、本気で信じる人がいるとしたら、大きな問題です。このような番組をやっていること自体問題ではないかと思いますが、なぜこれほど無邪気に信じるのか、こちらもかなり大きい問題だと思います。私のある知人は、奥さんのお母さん(義母)から、勤め先のある方角は今年は悪い方角だから転職した方がよい、と「真顔で」諭されたされたそうです(毎年転職するのでしょうか)。根底に「不安」が潜んでいることは確かでしょうが、それだけでもないのかもしれません。わが家ではこの手の「不気味な」番組は一切視聴禁止です。

| | Comments (0)

February 21, 2007

虫屋/Feb. 21, 2007

田川 研 著「虫屋の虫めがね」 (2001年10月)、「虫屋のみる夢」(2006年1月)

ともに偕成社 ¥1400+税

を読みました(これらの本を教えて下さったOhrwurmさんに感謝)。非常に面白かったです。単に面白いというに留まらず、私にとって忘れかけていたことをいろいろ思い出させるきっかけを与えてくれました。

一応「その筋」にいない方々のために説明すると、ここでいう「虫屋」とは縁日で鳴く虫を売っているオジサンのことでも、ペットショップでクワガタを売っているオバサンのことでもありません。要するに昆虫が大好きな人のことです。そしてこの2冊は「ケンさん」(実は著者自身)が日々過す虫屋生活を第三者の目から見て小説風に書いた本で、誇張もあるのですが、それがかえってケンさんの心の中をクッキリと表現することにもなって、大変生き生きとしています。ケンさんの自然観も決して説教臭くならないで表されているのは独特のユーモアたっぷりな「ケンさん節」のせいでしょう。

ケンさんは「蝶屋」(広い意味での「蝶」。鱗翅類)で、かつて中学生の時に蝶屋に憧れていた私を思い出すことができました。私もお小遣いをためて買った保育社の「原色日本蝶類幼虫大図鑑」上下二巻を飽かず眺めては、スミナガシやイシガケチョウの幼虫の造形に目を奪われ、オオムラサキの幼虫に出会う日に憧れていたのでした。そうそう私はパピリオ(Papilio)属というアゲハチョウのグループにも興味をもっていたのでした。この本2冊を読んでいて何度「そうそう!」と思ったことでしょうか。現在「蝉屋」である私はどこか心深くに「蝶屋」の自分を封印し、仕舞い込んでいたようです。そしてこの本はその封印に使われている紐を何本か切ったようで、‘プチン’という音が確実に聞こえてきたのです。

とは言え、昨年植木屋でクチナシの苗木を2本買ってきてベランダに置き、初夏には花の香りを楽しみ、そして夏には期待した通り飛んできてくれたオオスカシバが産卵して、アンテナをピンと立てたかわいいイモムシ達が育ち、丸坊主にされて嬉しい悲鳴をあげた喜びはあの「蝶屋」そのものの楽しみであったのでしょうから、いまでもその血は私の中を確実に流れています。

それにしてもなぜ私は蝶屋の道を走らなかったのか。多分当時東京の都心に住んでいて、そこにいる蝶がアゲハやクロアゲハ、アオスジアゲハ、ゴマダラチョウ、キアゲハ、ヤマトシジミ、モンシロチョウというようにすぐに数え上げられる種数しかいなかったこと、近くに「トンボ大臣」のような仲間がいなかったこと、興味が音楽に移っていったこと等々いろいろあったでしょう。憧れていても、あまりに長い間出会うことができないと熱も冷める、ということでしょうか。それでも中学2年の冬に御殿場(静岡県)に行った折にオオムラサキの越冬幼虫を採集することができたにもかかわらず、冬越しの管理に失敗してほとんどが天国にいってしまい、残った幼虫もせっかく終齢幼虫まで育ったものの、ネット掛けしたエノキの枝で飼っていたところを糞に集まってきたアリに襲われて全滅させてしまった悔しさは今でも忘れられません。

この2冊の本を読んで、著者と同じ広島県にいるうちにオナガアゲハやモンキアゲハ、ミヤマカラスアゲハが乱舞する姿を見てみたいとか、一度はかつて憧れたスミナガシやイシガケチョウの幼虫の個性的な造形の写真を撮ってみたい等と思ってしまいました。同じ県内とは言ってもなかなか福山方面に行く機会はないのですが、それでも身近な地名や目的は異るものの、セミの羽化の観察のために真夜中までいた山も出てきて、いっそう親しみをもって読むことができました。

なお、「虫屋の虫めがね」に蛾のアマチュア研究家として女性の「Mさん」という方が登場しますが、この方についてはかつて私はこのブログでそのスズメガについてのすばらしい著書を紹介しています:こちらをご覧下さい。

 

| | Comments (2)

February 20, 2007

クリムト/Feb. 20, 2007

先週末の土曜日に映画「クリムト」を観てきました。歴史的な事実をつなぎ合わせて、馬車が行き交う世紀末のヴィーンや、E.フレーゲとボートで避暑を楽しむアッター湖の風景、アルマ・シントラー(後のマーラー夫人)や、分離派の面々との交流、分離派会館で行われたベートーヴェン展の様子や宮廷歌劇場等々が描かれている・・・ことを期待したら大外れです。シーレは出てきますし、確かにフレーゲも出てきますが、卒中で死の床のクリムトの、夢とも現実ともつかぬ「アタマの中の風景」が描かれていて、「アブナイ」人間のオンパレード。とてもエクセントリックな映画でした。確かに「死」と隣り合わせの退廃的な世紀末の様子が色濃く描かれています。しかしはっきり言って、感動する類いの映画ではないですし、楽しめない。時間が余って暇でしょうがない方はどうぞ。

全編にオーケストラをバックにソロヴァイオリンが半音階風に弾く曲が流れていましたが、これがA.ベルクのヴァイオリン協奏曲の「そっくりさん」。さらに、映画の最後に流れるホルンで始まる曲も「大地の歌」もどきでした。

| | Comments (0)

February 19, 2007

蓼食う虫/Feb. 19, 2007

人の好みというものは多様であることは、頭ではわかっていますが、他人にはなれないので他人からみて自分の好み−趣味も仕事も−がどうなのか、なんとなくピンと来ないものです。自分が大好きなこと、やっていて時間を忘れるほど好きなことを他人はどう思うのか、ということは自分がドップリ浸かっているだけによくわからないものです。しかし、昨日東京マラソンのニュースを聞いて、はたと気づきました。

参加費を払ってでも参加したいと思う人が(抽選漏れになった人を除いても)3万人いたということですが、私はハーフマラソンでも10kmでもよいのですが、たとえ逆に100万円積まれて駆けろと言われても嫌ですから。はっきり言って、ハァーハァー言って長距離を駆けるということは私には刑罰に等しいことで、この楽しみだけはどうしても理解できません。・・・ということは、何時間も大人しく座ってマーラーの交響曲や「黄昏」を聞くなんていう、私には三度のメシより好きなことが「刑罰に等しく」感じたり、ゴマダラチョウの幼虫を見てカワイイと思い、スズメガがジェット機みたいでカッコいいと思い、シーズンになると時間を見つけてはセミを追いかけている私が全く理解できない人もきっと、いや必ずいることがよーく分かったということです。

*長距離走が嫌いなだけで、長距離走が趣味の方々が嫌いなのではありません。誤解の無いように。

| | Comments (2)

February 18, 2007

貧乏揺すり/Feb. 18, 2007

先日新聞に、貧乏揺すりには実は健康上効能があるという話が出ていました(1月12日頃の朝日新聞。「冷えの解消になる」)。だからということではないのですが、時々無意識に貧乏揺すりをすることがあります。昨日の昼「揺すって」いたら、テーブルの反対側に座っていたヨメに、「貧乏揺すりしているでしょう」と言われました。足につられてお腹が揺れるのが見えたそうで、「ニイニイゼミみたいにお腹ヒクヒクさせないで」と。別にお腹をヒクヒクさせていたわけではありません。

ニイニイゼミの名誉のために言いますが、ニイニイゼミは貧乏揺すりしてお腹が動くのではなく、純粋に呼吸しているのでして・・・。ただし、なぜアブラゼミやクマゼミなどのセミはヒクヒクさせないのに、ニイニイゼミ(属)のセミがお腹を動かすのかは知りません。きっと彼らに聞かないと分からないのでしょう。

| | Comments (2)

February 13, 2007

カバーをはずせ/Feb. 13, 2007

さまざまな商品にカバーやケースはつきものですが、元々付属していないにもかかわらずカバーやケース用意して、それらの中に入れて保存することも多いものです。しかし、しゃれではありませんが、私は前からケースバイケースで考えた方がよいのではないかと思っています。

たとえば新車を買ったとしましょう。お気に入りで、シートもとても美しい。そこで人は「この美しさを保とう」と思うわけです。そしてシートにカバーをする。このカバーが、デザイン的によく考えられてて、シート本体よりも美しいとでも言うなら問題はないのですが、ほとんどの場合そんなことはないのです。つまりせっかくの美しいシートを隠してダサいカバーで覆っているのです。これは本末転倒ではないでしょうか。それよりも美しいシートを見せて乗る方がどれだけかっこいいことでしょう?

カメラのレンズのように、カバーをする(キャップする)ことが内部のものを保護する上で欠かせないものは別です。レンズに傷がついたり、指紋が付いたりしたら即機能に影響が出るからです。デジカメの液晶ディスプレーに保護シートを貼るのもこの意味で理屈にあっています。液晶表面に傷がつくと、撮影時に被写体が見えづらくなるからです。CDやDVD、眼鏡などもこれと同じです。

しかし、このようなものを除いて、せっかく本体が美しいにもかかわらず、お手製の薄汚いカバーでこれを覆い、そのダサい姿を晒しているのはおかしいのではないでしょうか。私はたとえ少々傷がついても、綺麗なものは綺麗なのであって、堂々と見せるべきだと思うのですがいかがでしょうか。カバーが汚れて困る人もいるようで、こういう人はカバーが汚れないようにさらにカバーするのでしょうか。

わが家の車ですが・・・助手席と後部座席は家内お手製の「素敵な」タオル地のカバーで覆い尽くされています。上の主張は当然したのですが、納得してもらえず、運転席だけカバーなしということで決着をつけた次第です。

| | Comments (0)

February 09, 2007

ナマコ/Feb. 9, 2007

先日、わが家で起こったナマコ騒動。週末にスーパーに行って、一週間分の食料などを買い込むのが習慣になっているのですが、家に帰ってから取り出してみたら、ナマコが出てきたのです。今までわが家の食卓にのったことが無く、私自身今まで美味しいと思ったことがないものだったのでヨメに聞いてみると、今まで食べるチャンスがなかったので試しに買ってみた、とのこと。食べ方は私が知らないだけでいろいろあるのかもしれませんが、宴会などで出てくるのはすべて酢の物。やはりこれがスタンダードな食べ方だと思います。今回も当然のように酢の物として食卓にのったのですが・・・。家内の初挑戦の感想は、「固いだけで何が美味しいのか分からない」。何事もチャレンジは必要かもしれませんが、ナマコの酢の物って、どんな風?と一言事前に聞けばよかったのにと思った次第。二度と食卓には上らないでしょう。

| | Comments (2)

February 08, 2007

トルネード/Feb. 8, 2007

数年前から繰返し竜巻の夢を見るようになりました。年に1,2回のこともあり、月に数回のこともあります。シチュエーションは毎回異るのですが、共通するのは竜巻が出てくること。追われるように逃げて頑丈そうなビルに飛び込むこともあり、古い木造の建物(恐らく私の幼い頃に住んでいた家)にそのまま篭ることもあります。激しい風と音の中、必死で柱にかじりついたり・・・。しかしこの夢ではうなされることはなく、夢の中で竜巻を恐れながらも結構アドベンチャー気分でいるような気もします。心理学者が聞いたら喜びそうです。

| | Comments (0)

February 07, 2007

レフェリー/Feb. 7, 2007

格闘技の話ではありません。‘業界’の方は周知のことですが、多くの自然科学分野では論文を雑誌に投稿してもすぐには掲載してくれません。掲載する価値があるかどうかの審査があるわけで、これをレフェリー制度、審査する人をレフェリーというのです。レフェリーは(分野にもよるのかもしれませんが)、あらかじめ決められたグループの中から選ばれるのではなく、エディターが論文をザッと見て、適当と思われる人に依頼するのです。つまりレフェリーの依頼は突然来るのです。それも世界中から。

誰がレフェリーをしたか、ということは内緒ですから、いわばレフェリーは影の仕事人。お互い様ですから、できるだけ協力はしますが・・・完全に無償ですし、「影の仕事」ゆえ自分の業績としてリストすることもできないわけです。簡単な仕事ならいいのですが、これがかなり大変。専門知識も勿論ですが、自分の無理解のために貴重な結果が却下されたら、もしかすると著者の人生も変える可能性もあるのです。若い研究者の場合、この論文一つ通るか否かで就職できるかどうか、あるいは学位が取れるかどうか決まることは大いにありうることです。ちなみに、どうもここ数年私のところに来るレフェリー論文はロクなものがなく、掲載価値無しと判定せざるをえなかったのですが、一つの論文に複数のレフェリーがついていて、結局皆さん同じ判断だったようで安心しました。

というわけで、かなり神経も使い、読むのも大変な(ものにもよるが、数ヶ月〜半年以上かかることもざら)レフェリーですが、ある意味この依頼が来るのは名誉という考えもあるかもしれません。しかしそれならもう少し評価してもらいたいものです。依頼が来るのはランダムですから、来るときは立て続け、来ないときは数年来ません。

以前ほぼ同時に2つの論文のレフェリー依頼が別々の雑誌から来たのですが、同じ著者。題名こそ違いましたが、内容はダブっていてしかもお互いに引用していない。つまり事実上二重投稿ということ。レフェリーは秘密ですから、それぞれの雑誌の編集者に「二重投稿ですよ」とも言えない。これは困りました。たまたま両方ともレフェリーが私だったために発覚したわけです。

そういえばある医院に行った時、待合室にその医師の最近の論文がファイルされて置いてありました。「研究しているぞ」という意味でしょうが、パラパラ見てみたら、受付日と掲載決定日がたった1日違いというものがありました。事実上この論文誌はレフェリー制度がないのでしょう。要するにそれは論文ではなく報告文ということ。勿論それでも無いのとあるのとでは全く違います。

さて今朝来たレフェリー依頼。どうしたものか・・・。

| | Comments (2)

February 05, 2007

大長今とセミ/Feb. 5, 2007

NHKで2004年から始まった「宮廷女官チャングムの誓い」(原題「大長今」は偉大なるチャングムの意。邦題は恐らく、医学を志す者の心得である「ヒポクラテスの誓い」のもじりだと思います)の放送は、この1月から3回目のサイクルに入っています(実はCS放送でその前に放送されたそうですし、NHKでもこれ以外に前半後半2回に分けた集中アンコール放送がありました)。今回はノーカット字幕版での放送ですが、これを見ると吹き替え版にはかなりカットがあったことがわかります。私は「冬ソナ」に代表される韓流には関心が無かったのですが、偶然2004年秋にこのドラマの初回を見てハマりました。これまで2、3回吹き替え版を見たことになりますが、何度見てもあきません。私の友人は奥さんに「何度見れば気が済むの?」と言われたとか。

ロケが夏の終わり頃から翌年の春までだったと思われ、始めの頃(10回目頃までか)は韓国のセミの鳴き声が入っています。特にツクツクボウシの近縁種であるコマゼミ Meimuna mongolica の「ギ−−クァン,ギ−−クァン,ギ−−クァン,・・・」という鳴き声がかなり鮮明に聞こえます。

| | Comments (2)

February 03, 2007

節分/Feb. 3, 2007

最低気温が−5度を下回った日の数や降雪の日数を考えると確かにこの冬は暖冬なのだと分かるのですが、ここ西条は寒いことには変わりはなく、このところ毎日最低気温は−4度前後。最高気温も7〜8度程度です。今朝はこの冬一番の寒さになり、−6.2度まで下がりました。とは言え今日は節分。節分というと毎年思い出すのが一昨年書いたこの記事です。一昨年はここをご覧になっていなかった方がほとんどでしょうが、同じことを書くのも変ですのでリンクしておきます。

昨日午後9時過ぎに駐車場に止めていた車に乗ると、フロントガラスが汚れていることに気づきました。すでに道路に出てからうっかりウォッシャー液をかけたところ、瞬間的に全面氷結。フロントガラスが真っ白になって、かなり焦りました。朝晩は気をつけないといけません。

 

| | Comments (2)

February 01, 2007

そこで私だ/Feb. 1, 2007

Fuji Xerox アペオスのTVコマーシャルが頻繁に流れていて、その中のセリフの「そこで私だ」というフレーズが気になっています。普通の会話ではまず使われない、とても翻訳的な日本語だと思うのですが、これがかえってインパクトを与えているようで、ネットで「そこで私だ」を検索すると、パロディーなどいくつも出てきます。元の英語では何と言うのでしょうね(‘As for me, …’もしくは‘In my case,…’あたりでしょうか。英語に強い方、御教示下さい)。

かつて熊本にいたときに数年ドイツ語を習っていたことがあったのですが、その先生は日系ハーフのドイツ人女性でした。ほぼ日常会話では不自由しないほどの日本語が話せたのですが、時々我々生徒にドイツ語テキストの日本語訳をさせ、訳し終えると小首を傾げながら「きっとそう」と言うのがとてもおかしかったです。つまり彼女は我々の日本語訳がよく分からなかったのですね。この「きっとそう」、今では私が家でよく使っています。

| | Comments (0)

« January 2007 | Main | March 2007 »