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December 2007

December 29, 2007

何事にも終わりがある

今年ももう終わりですが、28日は御用納めでもあり、今年いっぱいで退職される方にとっては最後のお勤めの日になりました。以前私の職場で事務をされていて、2年前から配置替えで他の部署で働いていらした女性が12月いっぱいで結婚退職。いわゆる「寿退社」(「社」ではありませんが)。夕方わざわざ私の部屋まで来られたのですが、あちこち挨拶回りで思い出のオフィスなどを巡って来られたためでしょう、もう始めから目をウルウルされていて、こちらまでつられてしまいそうになりました。挨拶だけと思い立ったまま話しはじめたのですが、つい思い出話などになって話は長くなる一方。それでも名残惜しんで帰って行かれました。

かつて前任校にいたときに私も「最後の出勤」、「最後の授業」を経験していますが、それまで数えきれないほどこなした授業にも特別な思いが出るもので、いよいよ授業が終わったときには「ああ、これでこの教壇に立つことも二度とないのだな」と思ったものです。定年のときとなればさらにその感は強くなるのでしょうね。

かつてバーンスタインはベルリン・フィルに客演したときに、あと数日しか生きられないと思って演奏しろと注文したそうですが(曲はマーラーの第9交響曲)、いつもそう思って生きていくことはできません。

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December 28, 2007

学位の売買

最近あまり来なくなりましたが、一時海外からのスパム・メールの中に「学位が欲しいなら云々」というような怪しげな題名のものがかなりありました。中味を読んでいないので、一体学位をどうするというメールだったのかは不明ですが、今朝の各社の新聞などをみると、海外で買った(?)インチキ学位(ここで言う学位とは博士号のことです)を使って就職したり、昇進したりした大学教員がかなりいるとのことです。文部科学省が今年各大学に調査を命じた結果判明したそうですが、中には国立大学の教員もいたとのことで、驚きます。

なによりも大学の教員は論文を書くのは仕事なので、仮に学位を持っていない人でも、いくつか書きためた段階でそれらをまとめて学位申請すれば、簡単にとは言いませんが、何も海外のインチキ学位を買わなくてもちゃんとした学位を得ることはそれほど大変なことだとは思えません。またそれらのインチキな学位を大学の人事選考委員が見抜けないというのもちょっと問題のように思えます。

こんなことを言うと怒られそうですが、このような問題は理系の学部よりも文系の学部で起こることが多いのではないかと想像します。理系の場合最近は最初の就職時にも学位を持っていることが前提になっていることが多いからで、さすがに大学院の学生がインチキ学位を買って応募するとは考えにくいからです。

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December 27, 2007

年末の音たち

年末だというのに雑用に追われ、未だに年賀状の作成に入れません。それでも時間は過ぎ、押し迫ってきます。今週から恒例のバイロイト音楽祭のライブ放送が始まり、夜はもっぱらテレビもつけずに聞いていますが、とてもじっくり聞く余裕も体力もなく、ながらでいろいろしながら小さなラジオから流れる音楽を聞いています。私は第9よりも何よりも「指輪」を聞くと年末を感じます。

さて先日久しぶりにCDを買ってきて、仕事をこなしながら聞いています。まず非クラシックから御紹介すると、

 Kate Bushの最新作「Aerial」

一昨年(2005年)12年ぶりにリリースされた2枚組アルバムです。はじめあまりピンと来なかったのですが、繰り返し聞くと素晴らしさがわかってきました。デビュー作「The Kick Inside」を聞いたときの衝撃を今のKateに求めることはできませんが、やはりこれからもKateのアルバムは買い続けることになりそうです。タイトル曲「Aerial」はKate節炸裂です。

クラシックでは

 Brucknerの第9交響曲(E. Jochum指揮ミュンヘン・フィル 1983年ライブ)

を買いました。晩年のヨッフムは何度か来日し、確か最後の来日は亡くなる半年〜1年前だったのではないかと思いますが、私はこのうち2回実演に接することができ、特にBrucknerの第8交響曲の演奏では大変感激したことを覚えています(この演奏もCD化されている)。今回の第9交響曲も安心して聞くことができ、包み込まれるがごとく滔々と流れる音楽は私の好きな演奏です。以前ある方が「どうしてBruckner振りは爺さんばかりなんだ」とおっしゃっていましたが、典型的なジーさんのBrucknerです。

閑話休題。

母屋のホームページ「セミの家」のメンテナンスはここ数年さぼりがち。写真も録音もできるだけ新しいものを御紹介したいと思っているのですが、最近ようやく差し替え・追加をすることができました。まだ完成ではないのですが、一応それなりに最新のものをアップすることができました。この作業中にセミの鳴き声録音を聞いていて思い出したのは、はじめて「そのセミ」を聞いたときのこと。

アブラゼミやミンミンゼミなど生まれ育った環境に普通にいたセミを初めて聞いたときのことは覚えていませんが、ある地方に行かないと聞けないセミの場合は、生で聞いたときのことは良く覚えています。なかには情景まではっきりと目に浮かぶものもあるのです。今は日本中のセミの鳴き声が聞ける便利なサイトがありますが(笑)、もちろん当時はそんなものは無く、文字で表した擬音の鳴き声情報しかないまま屋久島でクロイワツクツクを聞いたときの驚き。最近はこのような感動が少なくなってきて残念です。皆さんは如何でしょうか?

*新たに更新できるかどうか分かりませんので、ひとまず今年一年の御愛顧に感謝いたします。来年が皆様にとってよりいっそう良い年になりますようにお祈り致します。どうぞ良いお年をお迎え下さい。

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December 21, 2007

虫という視点

図書館で養老孟司氏の「私の脳はなぜ虫が好きか?」(2005年:日経BP社:ISBN:9784822244569 (4822244563))を借りてきて読み始めたのですが、面白いことが書いてあったので、これを私流に解釈してみます:

フツウの人は1次元(x軸)の中で生きているので、あらゆることに順番がついている。政治(右や左)もテストの点数も、大事か大事でないかなど。そこには「虫」など入る余地はなく、虫はほとんどの人にとっては気がつきもしない存在で、比較の対象にすらならない。実は虫はy軸に乗っているので、x軸の価値判断ではゼロ(y軸上の点のx座標はすべてゼロ)。しかし世間に身を置きつつ「虫という視点」を持った人は、2次元の広がりをもっていることになる。x軸だけ見ているときには順番、序列がついた関係であっても、2次元の中で見れば順番はつかなくなる。つまり「虫という視点」を持った人にとっては、x軸上の順番や序列の意味がなくなり、ものごとの優先順位も変化する。しょせん世間のことはy座標ゼロ(x軸)での出来事にすぎないというわけです。

この「虫という視点」は氏が虫好きだから「虫」なのであって、いろいろ置き換え可能だと思われますし、人によってはさらに多次元の空間に生きている人もいるのでしょうね。「平板な○○」というと通常良い意味ではありませんが、実はほとんどの人は平面にすらおらず、1次元の世界だったというわけです。

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December 13, 2007

五高

出張で熊本大学に来ています。熊本大学の前身は旧制第五高等中学校/熊本高等工業学校で、かつての校舎などがいくつか残っています。

まずは赤門と呼ばれ、現在でも使われている煉瓦の門。

Akamon

この門を入り、しばらく進むと当時の本館が残っています。現在はここで教鞭をとっていた夏目漱石、小泉八雲、嘉納治五郎の資料などが展示され公開されています。漱石の期末試験問題(英語)もあります。

Gokou


キャンパスではいまでも漱石が見つめています。

Souseki

このほか、高等工業機械科の工場も残っていて、当時の機械類も展示されています。

Koutoukougyou


かつては毎日のようにこれらの横を歩いていたのですが、久しぶりに見て懐かしさでいっぱいになりました。熊本は私にとって特別な場所です。今後広島を離れたとき、はたして広島に対しても同じような気持ちになるでしょうか。

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December 12, 2007

絶滅への進化?

今月のはじめ朝日新聞に、京都大学霊長類研究所の橋本千絵氏によるチンパンジーについての記事が出ていました。それによると、チンパンジーのメスは一回の発情で、集団内のほとんどの成熟したオスと交尾を繰り返し、それは1日に30回以上、発情期間のおよそ1週間に200回にもおよぶそうです。さらに驚くことに、これだけ多くの交尾をしても妊娠せず、このone setの発情/交尾期間を6回繰り返してはじめて妊娠するというのです。

つまり、チンパンジーは進化の過程で普通に考えれば不利と思われる、「妊娠しにくい」性質を獲得してることになるわけで、実はヒトも程度の差こそあれ、この「妊娠しにくい」性質は同様だというわけです。さらにヒトは目立った発情期すらもたないことも気になります。

理由は未解明かも知れませんが、チンパンジーの場合この性質はきっと種にとって有利に働いてきたのでしょう。ところが、ヒトは急速に脳を発達させ、‘頭でっかち’になったわけで、それによって現在の文明を築いたのです。そしてかつてのヒト、もしくは進化の前の段階の生物が考えもしなかった生活習慣をもっています。つまり、学校教育というシステムをつくって、大学まで行けば二十歳過ぎまでかかり、その後就職してようやく自立できて結婚の準備が整うというわけです。性的に成熟して、生物学的に恐らく最も繁殖に適していると思われる時期に敢て生殖を避けているわけです。最近はその度合いは進んで30過ぎまで結婚しない人も普通ですが、これはやはり種として不利なことだと思わざるを得ません。もともと、「妊娠しにくい」性質がある上に、さらに繁殖期間を短くするようにしているわけです。

むかし、ヒトは草原や森で木の葉や枝を使った簡単な「巣」をつくり、狩猟をしたり、木の実をとったりして生活していたのでしょう。その時にはチンパンジー同様「妊娠しにくい」性質があっても大丈夫だったし、むしろ何らかのメリットがあったのかも知れません。しかし、たった数千年か一万年の間に生活様式をがらりと変え、ペアを組んで繁殖するためには「職」につく必要があり、そのためには「学歴」が必要だなどというシステムを作ってしまったのです。これは進化のスピードとは桁違いのスピードの変化であって、「妊娠しにくい」性質はヒトにとって致命的なことにならないかと心配になります。いや、つい100年前、日本では「ねえやは15で嫁に行って」いたのだとすれば、問題はこの100年で起きたのかも知れません。この頃は7人8人などという多数の子供がいる家庭も決して珍しくなかったのです。

「避妊」などという概念はヒト以外にはありませんし、これもヒトが「頭でっかち」ゆえに生まれたことなのではないのでしょうか。(誤解しないで頂きたいのですが、「避妊」がいけないと言っているのではありません。)十代で避妊をしないで子供を産むという、現代社会で問題視される行動が、ヒトという種にとっては好ましい行動だとすれば、皮肉なことです。

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December 10, 2007

セミに関する話題2つ

話が前後しましたが、首都圏に出張したのは埼玉大学のH先生を訪問し、日本セミの会の談話会に出席するのが主目的でした。今年の出席者は少なく、H研究室の学生さん達を除けば、13名。その中で私が注目した発表を紹介しますと、それは埼玉県にお住まいのH田さんの「セミに寄生するハエ」の研究。昨年も発表を聞きましたが、今年もさらに研究は進展したようです。セミに寄生するハエは古くから知られていましたが、その正体はいまだに不明です。近い将来に生態を含め、解明されることを期待しています。かなり根気のいる研究で、ハエを羽化させることが難しいらしいのですが、とてもよいところに着眼した研究だと思っています。

寄生というと何か特殊な感じがしますが、私はどうも多くの生き物にとって寄生はごく普通のことで、むしろそこから進化してきた、という印象を持っています。

今年はH研究室は改築中の仮住まいということで研究室で2次会が開けず、有志だけで近くのファミリーレストランで夕食をとりながらセミ談義をするに留まりました。その意味ではやや寂しい談話会でした。

余談ですが、広島への帰りに羽田空港の搭乗口付近のロビーで搭乗を待っていたときに、どこからかセミの鳴き声(エゾゼミのような持続音)がしてくることに気づきました。この季節にセミがいるわけもなく、まして空港ロビーにいるわけがないので、何かの機械音がセミの鳴き声に似ているだろうと思っていたのですが、あまりに似ていますし、そんな音を発する機械も見当たりません。なんだろうか?と思いながら、搭乗の列に並んで行列が進んでいくと、ロビーにあるテレビから音が出ていることに気づきました。「鉄腕dash」という番組です。dash村という番組内の村でのロケで周辺のセミの鳴き声が入っているのです。そういえば数年前にこの番組のテレビ局から、dash村のセミの種名の問い合わせがあったことを思い出しました。エゾゼミです。

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December 09, 2007

日比谷のショスタコビッチ

ずいぶん間が空いてしまいました。

東京・埼玉に出張の帰りに日比谷公会堂に寄って、ショスタコビッチの交響曲全曲演奏会の最終回、第8交響曲、第15交響曲を聴いてきました(井上道義指揮新日フィル)(写真)。

Shostako Hibiya



11月に聴いた広島交響楽団との第9、第14番交響曲の演奏会を聴いてから、スケジュールを調べてこの演奏会を見つけたのですが、実はCDは持っているものの、じっくり聴いたことがなかった第8交響曲は私にとって、とても馴染むのが難しい曲でした。結局十分に理解できないまま今日を迎えたのですが、やはり実演の力は大きいのでしょうか、第1楽章の始め、弦中心に静かに曲が進む箇所ですでに感動してしまい、気がついたら涙が頬を伝っていたのでした。「悲歌」的な美しさをもった部分です。次第に曲は暴力的(破壊的?)な頂点を迎えます。この「暴力」は3楽章、4楽章でも再現されますが、最後は再び静かに曲を閉じます。

休憩後、今回のショスタコビッチ交響曲全曲演奏プロジェクトの実行委員長の黒柳徹子さんと井上さんの短い挨拶があり、その後すぐに15番の演奏に入りました。かつて世界初演直後の日本初演の時、演奏会のライブをFMで聴いたときの新鮮な感動を思い出しながら聴いていました。おもちゃ箱をひっくり返したような、モザイク調の第1楽章は大好きで、やはり涙が・・・。そして終楽章のコーダ。打楽器の小気味よいリズムはショスタコビッチの粋な感じをうまく出して演奏するのはとても難しいと思っています。第4交響曲の引用と言われる部分ですが、ここではチクタクチクタクチクタク、チクタクチクタクチクタクというリズムはあたかも時のキザミを思わせるのです。チン!というトライアングルの音とともに15曲におよぶ「お話し」は終わりを告げます。

両曲ともあまり聴く機会のない曲ですが(特に8番)、機会があれば是非また聴いてみたい曲です。まだまだ私の感性も枯れていないことが確認できたことでも嬉しかった演奏会でした。

私の隣は大学生と思われる二人組。休憩時間は別の場所で聴いていた二人も加わり、聴いたばかりの第8交響曲の話。「あそこはカッコよかった」等と熱しながら話している四人(すべて男子)を見ていてとても微笑ましく思いました。

日比谷公会堂に足を踏み入れたのはほぼ四半世紀ぶりでしょうか。多分最後に行ったのはブレンデルがシューベルトの遺作のピアノソナタ3曲を演奏したときだったのではないかと思います。

午後3時に始まった演奏会は5時半に終わり、カーテンコールの途中で退場して羽田から最終便で広島に戻りました。

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